愛嶽神社~愛嶽山~天滿宮(太宰府三社詣・後篇) | 若宮桂のブログ・空と海がぶつかる場所

13日に出かけた三社詣(さんじゃまいり)記事の続き。

 

宝満山を30分ほど下山し、先ほどの中宮趾まで戻ってきました。

 

この中宮趾から分岐になっており、往きは右の道から来ましたが、帰りは左の道へ。

 

登山道に入ってすぐのところにあったマイクロ波電波反射板。

 

福岡県の山で最も登山者が多いとされる宝満山ですが、そのほとんどの方は今回往きで登ったルートか、昨年夏に登った宇美町の昭和の森から難所ヶ瀧を経て登るルートで登っています。
それで、このルートはかなりマイナー。事実、往きであれほど多くの登山者とすれ違ったのに、このルートでは麓の竈門神社へ出るまで誰とも会いませんでした。

 

4、50分ほど森を歩くと、鳥居。石の鳥居の先に赤い鉄の鳥居が。
石の鳥居の額には飯縄(いづな)大権現と書いてあるようです。

 

着きました。愛獄(おだけ)神社。11年前の宝満山下山時にも立ち寄った場所。
見ると、11年前は立っていた3つある赤い鳥居のうちひとつが根元から折れて倒れ掛かっていました。
その倒れている鳥居に額があり、カメラを差し込んで撮ってみると僅かに「獄神」と読みとれました。

 

その鳥居の右隣にコンクリートブロックの倉庫?のようなものがあり、確か11年前は奥に鏡が放置されているのが見えましたが、今は大量の材木やブルーシートが押し込まれ、見えなくなっています。

 

3つの鳥居を過ぎて石段を上がるともう1つ赤い鳥居。
脇に、神社の由緒が書かれているとみられる看板が放置されていますが、カビて全く読めません。ウエットティッシュ持っていたのですが、私如きが拭いてよいものかと思い、そのまゝとしました。

 

鳥居の奥にある急な石段を登っていくと、祠があり、馬に乗った神様が。
11年前と変わらない。神様も、おそらく鏡も放置。県下屈指の有名山からかんたんに縦走できる隣の峯の、あまりにも寂しい光景。

・中央の神様は軻偶土神(カグツチノカミ)。
牛馬が交通の手段として必要だった時代、牛馬安全・五穀豊穣の神として信仰されていたと、家にある本で紹介されています。
・祠の左手の石像は飯繩權現(イヅナゴンゲン)。
神仏習合(神仏混淆)といって、古来の日本では神様と仏様が一緒になっていましたが、そのなかで生まれた神だそうです。天狗、狐の化身。
・右手の石像は役行者(エンノギョウジャ)。役 小角(エンノオヅヌ)。
飛鳥時代の、修験道の開祖とされる人物。
そういえば以前、脊振山頂にも石像がありました。脊振のは自衛隊敷地内にあり、遠くから見えるだけ。

 

祠の裏手にまわると、ひっそりと山頂示すプレート。
此処が、愛嶽山。標高439m。北岳という別名もあるようです。
おだけさん、おたけさんと、資料によって呼び方は様々。このページではおだけやまと呼ぶことにします。
この場所から下山していきます。

 

「昨日 見た夢」という古い曲を思いうかべ、下山する。
30分ほど降りると左手の崖下に巨大なイノシシ!焦った。もし登山道で向かい合ったら危なかった。
そこから更に下っていくと、道端に野生イチゴがたくさん実をつけていました。
おそらくフユイチゴ(冬苺)。以前に雷山でも実をつけているの見ましたね。イチゴの旬は初夏ですが、これは冬に実をつけます。
食べてみました。ちょっと渋い。イノシシもこれ食べてるのかな。


宝満山/愛嶽山を下山し、竈門神社を後にして再び天滿宮へ。
駐輪場の場所が分からずインフォメーションで尋ねると、驛前にありました。
 

夕暮れの太宰府天滿宮に着きました。
神社のうち、天神様、つまり菅原道眞公を祀っている場所をとくに天満宮と呼びます。
なかでも、この太宰府にある天満宮は天満宮の総本社。
菅公は学問の神として知られ、この神社も受験の時期に多くの參拜者がやってきます。

 

現在本殿は改修中。假殿に參拜。三社詣の筈が四社目となりました。
樹木が植えられ、森になっています。これが仮とは。

 

空に二日月。逢魔が刻の太宰府をあとにしました。




携帯電話ウェルネスの歩数計
27646歩、16864m

自転車“響”のサイクロコンピュータ
走行時間:3時間53分3秒
走行距離:54.94km
平均速度:14.1km
最高速度:41.1km
でした。