四王寺山・前篇 (岩屋山~水瓶山) | 若宮桂のブログ・空と海がぶつかる場所

11月30日は四王寺山に登りました。

8時出発。今回はまず天満宮があることで有名な太宰府市へ行きます。
まずは福大通を東進し、長住三丁目交叉点で右折、外環状道路へ出て更に東進。
ガンセンター入口交叉点を過ぎて的場西交叉点から細い道へ左折し、井尻六ツ角へ出たら31号線には乗らず東に伸びている細い道を走ります。
暫く直進していると寿町交叉点に出るので中央の道を取り、山田四丁目交叉点で右折して112号線をずっと南下。

 

着きました。大宰府政廳(庁)址。担当自転車の“霞”は此処でおるすばん。90分で到着。
地元では都府楼址と呼ばれ、飛鳥時代、701年の大寶(宝)律令によって設置された政府機関「大宰府」の庁舎があった場所です。※だざいふしは太宰府と書き、だざいふせいちょうは、大宰府と書きます。
太宰府市、久しぶりに来ました。確か2012年の宝満山(寶滿山)、愛嶽山縦走登山以来ですね。
都府楼址は広場になっていて多くの人がいました。そしてその後ろに見えている山が、これから登る四王寺山。四王寺山脈、四王寺山地とも呼ばれ、最高峯の大城(おゝき)山をはじめ、岩屋山、水瓶(みずかめ)山、大原(おゝばる)山の4座から成ります。
2012年の時は宝満に登ったので、今回はこちらへ登ることにしました。四王寺登山は初です。

 

まずは広場を通り過ぎ、裏手の道から四王寺県民の森へ入ります。メタセコイアの並木がきれいです。

 

1座目の岩屋山(岩屋城址)を目指し、紅葉の森を歩いていきます。

 

これは戦国時代末期に岩屋城を護った高橋紹運(じょううん)の墓。

 

金色の森を歩いていくと、一旦車道に出ました。この上が岩屋城址のようで、案内板がありました。

 

11時。最初の目的地、岩屋城址と、その後方の小高くなっている岩屋山山頂に着きました。標高は281m。
嗚呼壮烈岩屋城址と彫ってある巨大な石碑。先ほどの高橋紹運の子孫の方が建てたとあります。
以前の記事で書きましたが、岩屋城は戦国武将の大友氏が筑前國西南部の護りとして築いた筑前大友五城の一。
福岡市東区の立花城(立花山)、福岡市早良区の安樂平城(荒平山)、福岡市西区の柑子(こうし)城(柑子岳)、那珂川市の鷲ヶ岳城(鷲ヶ岳)と、過去に登ったことがあり、今回の岩屋城をもって全て登ることができました。
攻めてきた島津軍との戦は壮絶なものだったようですが、今は静かに太宰府の街を見守っています。

 

案内板によると、右手前の緑の山塊が昨年登った油山(597m)。
油山の左手に見える緑の壁は脊振山地で、最高峯の脊振(1054.6m)をはじめ。遠く、前回登った雷山も見えます。

 

写真中央の山塊が佛頂山(左)と宝満山(829.6m)。佛頂山の後方に頭巾山(とっきんさん、901m)。宝満の右隣のだいぶ低く見えるのが愛嶽山(おたけざん、439m)。

 

先ほどまで居た都府楼址が見えます。
街を見下ろすベンチで、持ってきた弁当を半分食べました。残りはあとで。

 

次は水瓶山(みずかめやま)を目指します。
持っていた地図にルートが示されていないので、地図を見て勘で向かうことにしました。
まずは岩屋のすぐ下にある車道を暫く歩きます。

 

思ったとおり、林道のヘアピンカーブを過ぎたあたりに道が。

 

12時前に、2座目の水瓶山へ着きました。標高は212.1m。

 

朝出かけるときは息が白くなるくらい寒かったのに、この山頂の温度計を見てみると20度を越えていました。どうりで暑いと思った。マフラーはバッグにしまい、ジャンパーも脱いで先へ進みました。

 

次のピークへは、車道へ戻らず九州自然歩道を歩いていきます。
四王寺一帯は、岩屋城よりも遙か過去、実に西暦665年に建てられた古代の山城。市の名前にもなっている広大な大野城の址です。

 

九州自然歩道から大野城の外周址との合流地点へ出て北側へ歩いていくと、小高い丘がありました。遠見所とあります。

 

こちらからも眺望がきれいです。

 

遠見所の下に石佛。この山地一帯に33の石佛が安置されており、この石佛巡りをされている方も多くみられました。


長くなりましたので、続きはまた後日書きます。