前回の一四話で、はたちの頃の話を書きましたけど、今回はそれよりももっと古い話。
自分は昨年末に引っ越しをしましたけど、新居での最初の数ヶ月間はゴミ箱がありませんでした。
君と僕の物語・第五話に書いた理由から自分には車が無く、その後ペーパードライバーとなってしまったので、ゴミ箱のような大きいものを買って帰る場合は自転車か徒歩で運ばねばならず、ひと苦労。
結局冬だったこともあり、ゴミは市の指定ゴミ袋に入れてベランダへ出しておくことに。
ゴミ袋に魚の骨を入れて出しておくと、懐かしいあいつのことを思い出します。
……これは多分70年代。自分が小学生の頃出会った猫さんのはなし。
当時住んでいた実家には大きいポリバケツがあり、それにゴミをまとめていました。
福岡市は1978(昭和53)年から翌1979(昭和54)年まで渇水にみまわれ、市民の多くは給水車に並んで水を得ていました。そのときに水を溜めていたものが渇水終了で不要になり、ゴミ箱代わりに利用していたのです。
それが強風で壊れてしまい、以後ゴミは適当な袋に入れてベランダへ出すようになりました。まだ指定ゴミ袋など無い時代でした。
ある頃から、そのベランダに出してあるゴミ袋が荒らされるようになりました。まるで猫か犬が漁った跡のようです。
でも当時住んでいたのは3階。まさかと思いました。
その後、ベランダに出していた十姉妹(じゅうしまつ)も、(多分)食べられてしまいました。
ある晩、ベランダへ通じるドアを開け放してテレビを見ていると、いつの間にか横に猫が!
びっくりしました。何処から来たのか?
その猫さんは、確か背中側が黒くてお腹側が白い、太った雄猫。
人の顔を見ても驚くことも逃げるそぶりを見せることも無く、ふてぶてしい顔でこちらを見つめていました。
猫さんはベランダの方へ行くと、器用にベランダの手すりや窓の上の張り出し等を伝い、何処かへ行ってしまいました。
自分と妹は、当時好きでよく見てた「トムとジェリー」に出てくる、悪智慧の働く野良猫のブッチそのものだったので、ブッチと呼ぶことにしました。
腹ぺこブッチはその後もゴミを漁りに来ました。
ある日などは、食べ終わった鰺(あじ)の干物の骨を片づけずにテーブルに出したまんま横で昼寝し、その後起きてみると食べられた跡。
安全な場所に運んで食べたということではなく、テーブルに乗っかってその場で食べてから帰っていったらしいというふてぶてしさ(笑)。
でもなんだか憎めず、いつの間にかあいつが3階まで登ってくるのが楽しみ?な気持ちになっていきました。
小学生。セキセイインコ等の鳥は飼ってたけど、猫に触れたのはそれが初めてのことでした。
腹ぺこブッチはその後何度も勝手に部屋に上がり、ゴミも漁りました。
吉崎硝子/君と僕の物語
ある日、ベランダに新しいゴミ箱が置かれました。
そしてブッチはやって来なくなり、その頃を境に近所でも見かけなくなりました。
当時、猫と一緒に暮らす、ごはんをあげるという感覚が無かった。小学生だったし。
今にして思うと、ゴミを漁ったりさせずになにか食べ物をあげればよかった。
もっと一緒に遊べばよかった。
居なくなったとき、近所を探してみればよかったな……
吉崎硝子さんの楽曲をライブハウスで聴かせてもらったのが切っ掛けで書きはじめた不定期連載日記、「君と僕の物語」。
最後までお読みくださってありがとうございます。
写真が残っていない話が続いてしまいましたね。
次回は写真が残っている猫さんの話です。