関西 魂旅 熊野本宮大社編

 

 

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魂旅 はじまり 玉置神社

 

魂旅 十津川温泉郷

 

 

温泉にゆっくり入って、十津川温泉を出たのは18時半位。

宿に連絡すると、どこもレストランは閉まっているので、空いている所があったらそこで食べて来て下さいね。とご親切に教えて下さいました。十津川温泉のど真ん中にある、唯一空いているラーメン屋さんへ入りましたが、これが大正解!!美味しいし、その後、宿に着くまではレストランどころかコンビニさえもなかったのですから、、恐るべし、奈良県、& 和歌山県!!

 

 

というか、これが本来の生き方なんですよね。日が暮れたらお家に帰り、ご飯を食べて寝る。

20時過ぎてもコンビニでたむろしたり、明るく賑わっている都会の生活に慣れちゃうと、体内時間や感性が狂ってしまうのも仕方のない事だと気付きます。おかげさまでの人生だわん。

 

 

 

 

 

 

 

 

道中の山桜も美しかった〜

 

 

熊野の温泉も気持ち良かった!もうね、爆睡。温かいお布団で寝れるしあわせ音譜音譜音譜

深夜バスもワタス、大好きなんです。異次元を移動するみたいな感覚、楽しいもの爆笑ドキドキ口笛でもね、やっぱりふかふかのお布団の心地よさと言ったら何物にも代え難いしあわせでごじゃります。ビジネスクラスでハワイに行って一泊10万円のトランプタワーに泊まるのも楽しいし、1700円の東京大阪深夜バスも両方愉しめる、わたしの生活、かなりお気に入りドキドキどっちもあるからいーんだじょ!

 

 

そして、翌朝。

朝起きたら、あれだけ那智の滝に行きたかったハズなのに、ナゼかもう、行かなくてもいいことに気付きます。なんだったんだろ〜??と思いつつ、朝風呂入って、熊野本宮大社へ。

二年前に来た時は、近くだけどスルーしちゃったのがもったいない位に、熊野大社さまはかっこよかった!

 

 

 

 

 

 

 

特別に入らせて頂いたラブ皇居内にある、宮中三殿を彷彿させる高貴な佇まいにうっとり。心が洗われるってこのことなんですね。。

 

 

こちらは宮中三殿のお写真を拝借致しました。

 

 

 

 

 

 宮中三殿とは。

【冊子】天皇さまのおまつり④

賢所 ~神々のおわす宮中三殿~

皇居の森の奥、鬱蒼と木々が生い茂る敷地のほぼ中ほどに、特別なお場所がございます。

皇室皇祖(こうしつ こうそ)であらせられます天照大御神様の御霊代(ごれいだい)として

御神鏡(ごしんきょう)を御祭り申し上げます賢所(かしこどころ・けんしょ)、

歴代天皇・皇后、皇族の御霊(みたま)を御祭り申し上げます皇霊殿(こうれいでん)、

天神地祇(てんしんちぎ)を御祭り申し上げます神殿(しんでん)がございます。

この御三殿を宮中三殿(きゅうちゅうさんでん)と申します。

御三殿に附属して、神楽舎(かぐらしゃ)、綾綺殿(りょうきでん)、また神嘉殿(しんかでん)などのお建物がございます。

(髙谷朝子『宮中賢所物語』(ビジネス社)参照)

 

 

 

本来、熊野本宮大社内の聖域は、写真撮影禁止だということを知らずに撮影してしまいました。

自宅に帰ってから、大好きな桜井識子さんの3月23日付 ブログを拝見して知りましたが、優しい熊野の神様は赦して下さるとお聞きして、心が温まりましたん。 ➡️  桜井識子さん 熊野本宮の神様のお話

 

帰宅してすぐのタイミングで、玉置神社様と熊野本宮大社様の記事がアップされています。熊野本宮の神様はやはり、怒ったりせずに、ちゃんと判るようにさり気なく諭して下さったのだと思うと、涙が出てきてしまいました。晴れ晴れ晴れありがたいですね。

 

 

 

そして。心惹かれた一枚の護符

 

 

 

 

 

 

 

なんと!!! からす文字が用いられ 熊野牛王宝印(くまのごほうほういん)というそうです。

 

購入時にはカラス文字に気を取られて、自宅でゆっくり拝見すると、なんか見覚えのあるモノが、、???

 

あれれ?あれれ?

なんと!今、制作途中の宝珠の塗香入れと全く同じじゃない⁇

 

 

 

 

 

 

ウルウル、、実はこのご相談でこの地を訪れていたのですもみじちゃんと、神様に見護られているのですねラブラブラブラブありがたや。

 

因に。。熊野牛王神符とは、俗に「オカラスさん」とも呼ばれ、カラス文字で書かれた熊野三山(本宮・新宮・那智各大社)特有の御神符。カラス文字の数は、各大社によって異なり熊野本宮の熊野牛王神符は、八十八の烏が見事にデザインさていて木版で手刷されたものを熊野宝印と認めています。

カマドの上(現在はガスの元栓)にまつれば火難をまぬがれる
門口にまつれば盗難を防ぎ懐中して飛行機、船にのれば、船酔い災難をまぬがれる
病人の床にしけば、病気平癒となるとの言い伝えがある通り、あらゆる災厄からお守り下さる御神符です。
鎌倉時代になるとご神符は「誓約書」として、江戸時代には「起誓文」の代わりとしても用いられました。
これは古くから「熊野権現への誓約を破ると、熊野大神の使いである烏が一羽亡くなり、本人も血を吐き地獄に堕ちる」と信じられてきたことが背景にあり、婚礼の誓詞の裏に御神符を貼布しているのもその由縁からだそうです。

 

そして、その起源は明らかになっていませんが、二つの神話が残っています。

①神武東征の八咫烏の故事『古事記』より

神武天皇が熊野の村に着いた時、突如大きな熊が現れ、神武天皇とその軍勢はみな毒気にあてられてしまいます。そこへ、神々からお告げを受けた高倉下が馳せ参じ、ひと振りの天剣を神武天皇に献上しました。神武天皇がその太刀を受け取るやいなや、熊野の山の荒ぶる神は、ひとりでに斬り倒され、倒れていた軍勢も、みな正気に戻って起き上がりました。
そして、高御産巣日神は神武天皇に「ここから奥は、荒ぶる神が非常に多いのです。今、天からあなたのもとへ八咫烏を遣わしましょう。そうすれば、八咫烏があなたを導いてくれます。」とおっしゃいました。こうして、神武天皇は八咫烏の後について大和(現在の奈良県)橿原へたどり着き、都を築かれました。

本宮大社では、毎年1月7日の夕闇迫る時刻、古来より牛王神符刷り始めの神事として有名な八咫烏神事(県無形文化財)が斎行されています。


②当社の主祭神、家津美御子大神(素盞鳴尊)と、天照大神との高天原における誓約

『古事記』や『日本書紀』には、素盞鳴尊が天照大神と誓約うけひをなされた時の物語が描かれています。その際、素盞鳴尊が自らの潔白を証明するため、天照大神の御身につけられた玉飾りを噛み、吹きだした霧からお生まれ になったのが、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみことであると記されています。
素盞鳴尊は、この故事により正邪を正す誓約の神として尊崇されるようになりました。
そして、「牛王神符」 は素盞鳴尊の別名である「牛頭天王ごずてんのう」の御名の一部を受け誕生したと云われています。
今からおよそ1300年前の天武帝白鳳11年、『東牟婁郡誌』に「熊野僧徒 牛王宝印奉る」と文献上初めて記され、源義経と藤原泰衡の誓約や、関ヶ原の戦いにおける家康と諸大名の誓紙、赤穂四十七士の連判状にも使われました。

(以上、熊野本宮大社 熊野牛王神符サイトより転載させていただきました)

 

 

 

そして、、今、ポロリと落ちてきた鞍馬山で頂いた一枚の御神籤にも宝珠の図柄が、、

色々ありますが、宝珠計画このままズンズン進めますね。

 

 

 

 

 

 

自分の道を決める事。そして樂しむこと。大切ですラブ

 

 

つづきます!