叔父が旅立ちました | 服で言葉であなたを伝える【あなたの魅力ナビゲーター】

服で言葉であなたを伝える【あなたの魅力ナビゲーター】

【K's ROOM】オーナー
パーソナルスタイリストの森川恵子です
あなたの魅力を引き出し最大限に活かす服を
ご提案しています
そして【K's ROOM】では
あなたの魅力をまるっとご紹介しています

昨日、4月14日
叔父が最愛の叔母の元へと旅立ちました



4月9日
力強く生きて退院をすることに決めた叔父でしたが、その願いは叶うことがありませんでした

叔父は立派に自らの人生を全うし
見事に幕を閉じました

それは確かなことだと思っています


今の、そしてこれからの私のために
旅立ちの日のことをここに記します




病院の主治医から

「叔父さんの容体が良くありません。
時間がないかもしれません」と
正確な言葉は覚えていません

電話があったのが午前9時前

私は
あ〜。やっぱり。そう思った。

その夜中、2時19分に

私のiPhoneのアラームが突然鳴り
そのときに、もしや叔父?と思っていたから

私はそれから眠れずにいた




慌てて身支度をしていたら
再び先生からの電話

「医療とは関係ないことで申し訳ないのですが、
叔父さんが気に入っていた服を持ってきて
いただくことはできませんか?
今、病衣なので。叔父さんらしい服に着替えて
いただけたらと思いまして」

申し訳ないですと私に3度も詫びながら。



叔父から頼まれて
叔父の家から少し衣類を持ち帰っていた私は

季節外れと思いながら

一番思い出深いセーターと
叔父に似合っていたパンツを袋に詰めて

タクシーで病院へ向かった


雨のせいもあってか道が混んでいて
私の気持ちとは裏腹に時間が過ぎていく

病院に到着したのは10時過ぎ

すぐに病棟へ上がれた


コロナ期間は終了しているとのことで
叔父に会えると聞く

既に防護服も必要ないけれど
私自身の気持ちの安心のために着用することを
勧められた


叔父の病室に入る前に
先生からここ数日の状態、容体の説明を受けた

既に心配停止ではあるけれど
手はまだ温かい
先生が診察するまでは終わりではない
いつまででも時間はかけて構わない
呼びたい人がいたら呼んでください

そこで私は僅かな時間だが悩んだ

叔父が会いたい人はいるのか
叔父から「いない」と電話で聞いてはいた

私が誰とも共有せずにひとりで見送って
良いものなのか
私自身が受け止め切れるかも
 
「私ひとりで大丈夫です」と選択した

先生、チームの精神科の看護師さんも
「叔父さんの望みに間違いないと思います」
と言ってくださった



病室の前で
キャップ、N 95のマスク、ガウン、
手袋、シールドマスクを着用して病室へ


10時20分 病室に入り叔父と対面

病室には井上陽水の
夏の終わりのハーモニーが流れていた

思ったより痩せていない
穏やかな顔
セーターがよく似合ってた

手を握りゆっくりと話をさせてもらう


もう叔母の元へ行くんだね
やっと行けるんだね
それを望んでいたんだもんね
たくさんのことを教えてもらったよ
ありがとう
お疲れさま

今もカッコいいよ
事実本当にカッコ良かった


そんな言葉を何度も繰り返して
先生に「お願いします」と伝えた


最期の診察

先生は
「それでは、これから叔父さんを
奥さんの元へとお連れします」
そう言ってくださった

思いもよらない、その言葉に胸が打たれた

静かにお別れをした


その後
管などを抜くなどの処置の間

ずっとチームの精神科の看護師さんが
私に付き添い、話をし、聴いてくださった


そこから荷物をまとめ霊安室へ

斎場の方が誠実な良い方と思えたので
お任せすることにした

叔父は綺麗にお化粧していただいた


13時30分 お迎えの車到着


出棺の前に先生、看護師長さんが来てくださった

先生は
「最期まで本当にカッコいい方でした
たくさんのことを学ばせていただきました」
と叔父に向かって言ってくださった

この言葉は病室の前で
私にも伝えてくださった


出棺

叔父が車に入るとき
長い息が出た 顔を覆って泣いた

手を頬に置いていないと
あまりにも心許ない気がした

先生、看護師長さんに見送っていただき
病院を後にした


14時20分 斎場到着、打ち合わせ

14時40分 タクシーで家へ戻った


3月21日に入院して、この日まで

私がひとりで向き合えたのは
この病院の先生、チームの看護師さん方々の
お力に他ならず

それなくしては成し得なかった

仮にあったとしても
私の心は壊れていたかもしれない

そして

事のはじめから
起きたこと、私の思いの全てを
聴いてくれたかけがえのない友人の存在

感謝しかなく

ありがとうという言葉でしか表せない
私がもどかしく思う




病室に入る前に、先生、看護師さんへ

「こんなにも大変な、大変などいう言葉
などでは表せない現場において
こんなにも心をかけ寄り添っていただいた
ことに感謝しかありません」
叔父も同じように言っていた

そう伝えたときの先生の言葉が

「生き死にに、恥も外聞もなく
生身の人と人としてぶつかっています」


先生からいただいた言葉は
どれも全てがこの上なく胸を打つものだったが

この言葉は

厳しい医療現場で全霊を注ぎ戦う
医師の言葉として強く残っている

このような現状、医療者の方々の存在を
知っていただきたいと真に思う

そして
見事に生き抜いた叔父のことも。

ありがとう。ありがとう。

ありがとう。




これから私は

叔父の
そして叔母の人生そのものだった
おしゃれを

日本国内、フランス、イタリアへ
旅した時々に集めた数々の品を

その魂と共に引き継ぐことに
丁寧に向き合っていきます

見守っていただけたら嬉しいです

ありがとう。