叔父に再び【生きる力】を与えてくださったのは | 服で言葉であなたを伝える【あなたの魅力ナビゲーター】

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私の叔父が再び「生きる」と決めたのは

入院先での医師の力
そして看護師さん方チームの力に他ならない



重たい内容だとは思うけれど

厳しい医療現場にあって

患者に寄り添い
治療にあたってくださる先生方が
いらっしゃることを知っていただきたくて

書くことにしました


主人公は、現在86歳のこの叔父です

叔父から
「恵子ちゃん、コロナにかかっちゃった。
今日、救急車で運ばれて入院してる」

3月21日、私はその電話を受けた

驚いた

叔父は呼吸がしづらく辛そうだったが

それから一週間は毎日
「検査の結果も体調もどんどん良くなってる」
と電話があった

「貴重品を病院へ持ってきてほしい」と
叔父から頼まれて病院の受付へ預けた日が

入院して一週間後

その日から3日間、叔父からの電話はなく

気になりながらも
私から電話するのも躊躇してかけなかった



4月1日

「恵子ちゃん、もう生きるのをやめました
和ちゃんのところへ行くことを決めました」

和ちゃんとは、4年前に癌で亡くなった
奥さんのこと

叔父はそう言い
私がなにか言おうとするのを
「なにも言わないでください」と遮った

4日前から息苦しくて堪らないと言い
今日から食事は摂らないと言った

私は
自分で自分の人生の終わりを決められることは
ある意味、贅沢なことだと思っている

終い方は生き方

そんな風にも思っているので
叔父を見事だと思った

私は「叔父の思いを尊重する」と伝えた

でも同時に

生きられるのに諦めてしまうのは
なにか違うのではないか

そうも思ったし

もちろん悲しかった



その日、担当の先生からも電話があったが

「今、退院日を約束できる状態ではないが
特別悪い状態でもない」とのことだった

そして病状だけでなく
最近の叔父と私との会話のことから
私の思いも聴いてくださった


そこからは毎日
多い日は3回叔父からの電話

「おしゃれが僕の人生だった
和ちゃんと見つけては一生懸命買って
大事にしてきた

それを恵子ちゃんに全て渡したいから
家に行って持って帰ってほしい」と

息苦しい中

なにがどこにあるか

見事なまでに
ひとつひとつ事細かに
その時々のエピソードまでを叔父は私に伝えた

正直
それを聞くのはかなりしんどいものだった



そんな最中にFacebookにあげたのが
この言葉

叔父の意思は固かった
言葉通り食事はおろか水も摂らなかった



4月3日

私が病院に持って行った
「貴重品を取りに来てほしい」と
叔父から電話があり私は病院へ行った

怖かった

それを受け取ってしまったら
それでお終いになるような気がして

ものすごく怖かった

でも

叔父に心残りを負わせるのも嫌だった


4月7日

病院の計らいでオンライン面会を
していただいた

私が病院へ出向き叔父の病室と
iPadで繋いでいただいたのだが

叔父の病室には先生と看護師さん
私には精神科の看護師さんがついてくださった

オンライン面会といっても
顔を映したのは私だけ

叔父は映ることを拒否した

それは想定内

叔父が姿を見せることは考えられなかった

担当の先生は
「叔父さんが主人公なので、映らないことで
了承ください」いうようなことを言って

先生、看護師、病室と順に映してくださり

「決して暗い感じではなく
明るく和やかにやっています」と
説明してくださった


その面会の後

先生は現状の説明をしてくださり

叔父がこれまでどんな人生を送ってきたか 

そして私の思いを
看護師さんとともに聴いてくださった


その最後に先生から
「叔父さんの写真を持っていませんか?」と
聞かれて

私はキョトンとした

先生は
「私は叔父さんの元気なときを知りません
その姿を見せていただけたら
それをゴールと目指したいと思って」

そうおっしゃった

嬉しいやら有難いやら

そんな医師に治療にあたっていただいていることに
感謝でいっぱいになった


4月8日

先生から新たな治療の提案の電話がある

私の答えは
「本人が望むならお願いします」

叔父は拒否したとのことだった

その電話で先生がおっしゃっていたことが

「人生の主人公である本人が決めることが大事。
ただ、それが正しい判断ができる状態での
ことなのかを叔父さんとの会話から、
そしてリエゾンチームで話し合い考えていく。」

本当に有難い。感謝しかない。



4月9日

私は叔父の写真を届けに病院へ行った

その夕方のこと

「恵子ちゃん!決めました!生きます!
とにかく退院して四国八十八箇所お遍路に
行きます!」

そう叔父から電話があった

9日ぶりの食事を完食したそう

嬉しくて
もう本当に嬉しくて泣いた

叔父は
「僕の気持ちに寄り添いながらも
治そうとしてくれている素晴らしい先生から
パワーをもらった!
そんな先生や看護師さんに囲まれているのに、
僕が傲慢だった!
間違っていたことに今、気づいた!」と

そう話す声は1日前とは別人のように
張りのあるものだった


看護師さん方もいつも
叔父の話を寄り添って聴いてくださって

病室には叔父が好きな井上陽水の曲を
流してくれているとのこと

本当に本当に有難い

叔父の病状は
決して楽観できるものではないけれど

生きる希望を持てたことがとにかく嬉しい


自分の人生は自分で決めていい

それがたとえ絶つことだったとしても
私はそう思うけれど

それでもコロナは治して退院してほしい



医師、看護師の方々のお力によって
叔父は再び生きる決断をしました

とてもとても厳しい現場でのその働きに
心より感謝しています

いや
そんな言葉では表せません

ですが私に伝えられることは

ありがとうございます

しかありません

ありがとうございます



そして長いブログを読んでいただき
ありがとうございます