私、一応大阪市内で生まれたのですが、父(土建屋?)が開発を請け負ったもっさい土地がありまして、仕事の都合上、そのもっさい土地に移り住むことになりました。
元はクソ田舎の大地主の持ってただだっ広い田畑だったのが、地主のジジイが死んだとたんに相続人たちが、相続した土地を我先にと売りはらってしまい、本当に激的にその土地が変わって行ったんですよね。
前にも少し触れたかもしれませんが、私が子供の頃に住んでたのは吹田市の中でもまだ田んぼや竹林、裕福な大地主のばかでかい家とかが残っていた地域でした。
そこに住んでた頃は、私はまだ金回りのことなど理解も出来ないほど小さな子供でした。
父はなんかどっかの工務店の社長に誘われて、全くの畑違いから不動産関係の仕事をすることになったという噂。(たぶん、私が4歳くらいで姉が10歳、兄は12歳の頃です。母はそもそも父の仕事に興味がなくて最初から知らない。そのため家族全員が父の仕事を知りませんでした。)
いや、どんな仕事してたのか、私はまだ幼稚園にも行ってなくて理解できず。仕事仕事で家に帰ってこない父の顔すら覚えられないくらい父は働いてました。
んでまあ、田んぼ潰すだの、山切り開くだの、ある意味自然の破壊工作をしてたんですよね。
その、父が雇われてた社長がなんかすごく自分本位な仕事しかせず、けっこうその土地でも嫌われてたみたい。
なので、父は後ろ盾を作って家族を守るため、ある宗教に入るんですけど、それはまた別の話。
(最終的にその宗教で家族はバラバラになるんだけどね)
まあ、複数の地主が土地を手放したおかげで、それまで田んぼしかなかったような土地は埋め立てられ、立派な一軒家や10階建て(当時ではタワマン並みの高級マンション)のマンションがどんどん建っていきました。
さすがに平安時代から続く寺や神社はつぶされなくて良かったんだけど。
子供ながらに、泥んこになって遊んだ田んぼや、あぜ道に必ず咲いてた彼岸花やコスモスがかなりの短期間のうちに全部なくなってかなりショックでした。
まあ、そりゃでかい道路を一本ドーンと通したことでその周辺を埋めるように(当時の)高層マンションがいっぱい建って。
私はまだ小学生だったと思いますが遊べる空き地(いや、ちゃんと管理して世話をする農家のおじさんは居たんだが)がどんどん減って来てマジで泣いてたw
(空き地には資材や重機が置いてあり、子供たちは勝手にユンボに乗って遊んだりしてたw←もちろん動いてはない)
私は運動神経がゼロだったのでそこまでではないのですが、同年代の子供たちは木に登ったり蛙やザリガニを取って遊んだり。(あ、いや、蛙やザリガニ”で”遊んだり)
草ぼうぼうの茂みにドーン!と頭から突っ込むナゾの遊びが流行ったり、カタツムリを見つけて、誰かが「カタツムリ食えんねんで!」「うそや!それ虫やろ。そんなん食べれんわ!」と、と、子供同士の偏った知識で喧嘩したりもしましたw
いやあ……こないだ出雲に行って平屋が数件あるほかは全部田んぼ(時期的に水は抜いてあったんじゃないかな。)で、恐らく連作障害対策にコスモスとか植えてあって急に昔のことを思い出したから書いてます。それだけなんだけどねwww