とりあえず3話まで見たから感想書こうかな。
一応、ネットでは賛否両論のようなので詳細は省く。
第1話を見た時から、私が原作を読んだ時とかなり印象が違ってて「???」と思ってたんだけど。
まぁ、こういう解釈もあるのかと思ってモヤモヤしつつも見てましたが、
でもさ、3話の「デパートの屋上」の二階堂の声の芝居は絶対違うだろ?!
なんでこれでOK出した?なんで?
二階堂は文字通り命を削る覚悟で勝負してんだよ。
その上での「負けたくない」だよ。
ただの負けず嫌いのお坊ちゃまじゃないんだよ。
それで、あの芝居でOK、なの?なんで?
大人(?)になってからの二階堂は岡本信彦だから全く心配してないけど、
てか、子供の時の回想のあと登場した二階堂とテンション全く違うじゃん。
クーラー効いてなくて「あの屋上に比べたら天国だ」ってセリフ、記憶のほうの「負けたくない」がインパクト薄すぎて全く生きてない。岡本氏もったいない…。
主人公の零にしても、キャラ付けがすごく疑問。
原作を読んだ時の最初の頃の零の印象は、
いろいろ考えてるのに、誰かに理解されるのをすでに諦めていて、だから寡黙。
でも本当はすごく熱血漢で優しい。
でも、それをどうやって伝えたらいいか分からない。
川本姉妹と触れ合っていくうち、少しずつ「伝えたい」「何かしたい」と思うようになって、手探りでもがきながらも不器用に成長していく。
みたいな感じ。
だけどアニメでは最初からわーわー大騒ぎして煩いし、(注:これは声優さんのせいではなく、そういう演出)「あー、丁寧にやるつもりはないんだな」と思ってしまった。
あと、全体的に超スローな運びと、やたら町興し的な演出がかなり鼻につく。
ホントはね、第1話から「は…?」と思ってたの!
下町ってことを表現したくてゆっくりやってんのかなって。そういう解釈もあるのかなって。
つか…アニメじゃ無理なの?あの表現。
原作では1コマ1コマの絵にすごい量の情報があるんですよね。
例えば第1話冒頭の零の部屋、ガランと何もなくて将棋の道具と布団しかない部屋。
その日訪れた川本家の居間、ごちゃごちゃとたくさんのものがあって子供達と猫達が大騒ぎ(コマを埋め尽くすように書き文字がある)しててすごい生活感溢れてる部屋。
この対比だけでそれぞれの立場が分かると思うんだけど。
なんかあの水の演出要らない。何の意味があるの?
どうしても「水」っていうと「無意識の象徴」とか「母親(胎内回帰)の象徴」と思ってしまって意味を探してしまう。
(このストーリーにはどちらも関係なし)
舞台である佃が水(川)に囲まれた土地だからしつこく水を象徴するんだと思うけど、アニメを町興しに使うの、ほんとやめてー。
そういうリアル、求めてない。
橋も川も主人公じゃない。主人公は零だから、もっとちゃんと零を描いてあげて!(怒)
つか、このアニメ、原作のどのへんまでやるつもりなんでしょうね。
どこでぶった切るにしても、今後はあまり期待しないで見るようにしよう…。
自分、こんなにこの漫画(原作)好きだったんだなぁ…。