尾呂志神社
紀伊国牟婁郡
三重県南牟婁郡御浜町大字川瀬361
(駐車は下部写真参照)
■祭神
伊邪那岐命
天照大御神
応神天皇
倉稲魂命
「尾呂志川」上流、御浜町「川瀬」に鎮座する社。隣接する「上野」「栗栖」とともに「尾呂志地区」などとも表記されます。熊野灘からは10km足らず、深い山々内の盆地。「川瀬」は人口58人(令和二年国勢調査データ)の深刻な過疎地。
◎創建は明治四十一年のこと。それまでは「尾呂志」三地区の産土神として、「川瀬神社」と呼ばれていたようです。近隣社を合祀し現社名に。
前身である川瀬神社のご祭神は伊邪那岐命。そちらの創建年代も伝わっておらず、遡られるのも慶長十年(1605年)の棟札まで。
◎当地で有名なのは「風伝おろし」。秋から冬にかけての天気の良い早朝、北からの風に乗って、尾根伝いに、山頂から山裾までの一面、滝のように一気に流れ落ちる乳白色の壮大な朝霧がかかるとのこと。これは10km余り西方の紀和町の入鹿盆地で発生した霧が、山の切れ目にあたる風伝峠から流れ出す現象。地名「尾呂志」の由来となっています。◎「オロシ」が「オロチ(大蛇)」に通じるとする説もあります。大蛇といえば製鉄鍛冶と関わることがよく知られますが、古代たたら製鉄には「おろし」(突風)が必要。当地に製鉄鍛冶の跡は今のところ見出だせてはいませんが、「尾呂志川」下流には蛇崎神社(現在記事改定作業中、リンクには飛びません)が鎮座します。