大神社 (一宮市大和町)
(おほのじんじゃ)


尾張国中嶋郡
愛知県一宮市大和町於保郷中2311
(駐車スペース有り)

■延喜式神名帳
太神社 名神大 の比定社

■旧社格
村社

■祭神
神八井耳命


濃尾平野の中央部、穀倉地帯の中の古い集落、一宮市大和町於保に鎮座する社。
◎創建年代は不詳。多氏の一族が当地に移り住み、氏神として祖神の神八井耳命を祀ったものとみられています。
◎「日本文徳天皇実録」(元慶三年・879年)に、仁寿三年(853年)に「多天神」(当社のこと)が「名神」に列格したとの記述があるとのこと。また「三代実録」(延喜元年・901年)には、同年に従五位上の神階を授与された旨が記されます。そして「延喜式神名帳」(延長五年・927年)に於いては名神大社に列しています。
◎多氏は大和国十市郡飯富郷を本貫地とした氏族。多坐弥志理都比古神社が鎮座します。
記には神八井耳命の裔として意富臣・科野国造(信濃国)・道奥石城国造(現在の福島県)・常陸仲国造・長狭国造(安房国東部)・伊勢舟木直(多岐郡・朝明郡・壹志郡 等)・尾張丹羽臣(尾張国丹羽郡)・島田臣(尾張国海部郡)を記しており、これらが多氏からの分族であろうと。すべてが東国(多臣とは別流の多氏が西国には多く見られる)。他にも遠江国や美濃国に舟木氏の根拠地があります。これらから多氏が伊勢国、尾張国を経由して東国へと拠点を広げたと考えられます。
なお尾張国丹羽郡には式内名神大で尾張国二ノ宮である大縣神社(未参拝)が鎮座、丹羽氏が奉斎したとする説あり。また式内社 爾波神社(未参拝)は神八井耳命を祀ります。
◎一方で宝賀寿男氏(日本家系図学会会長・家系研究会会長)は「古樹紀の部屋」サイト内の「多氏族概観」の中で、和邇氏との何らかの関連があったのではないかと指摘しています。和邇氏の拠点が伊勢・尾張・美濃等に多くあり、多氏と重なることから。
日本古代史学者の加藤謙吉氏は「ワニ氏の研究」の中で、春日臣(和邇系氏族の筆頭)が5世紀後半頃から活動を活発化し、6世紀前半頃に春日部や春日戸といった部民を組織化したとしています。この部民を組織化する前に多氏が拠点を広げたと考えるのであれば、5世紀中頃以前ではないかと。つまり当社の創祀は5世紀中頃以前ではないかと考えます。
◎尾張地方に尾張氏が移り住む前に、当地を支配していたと考えられるのが和邇系氏族。「春日井市史」には、「この尾張地域の支配者として、春日氏及びその一族であります和邇部氏が、君臨しており、その本貫は和邇良の地であったらしい」とあります。「和邇良」とは山田郡(現在の春日井市)に鎮座する和邇良神社(未参拝)の地。
また同様に尾張氏が移り住む前に丹羽郡を中心として支配していたという丹羽氏が、その和邇系氏族であったという説も。
◎その後、永徳元年(1381年)には従一位の神階授与。ところがかつての名神大社もいつの頃からか衰微。江戸時代には「天王社」と称していたようです。現在もやや寂れつつ鎮座しています。



鳥居を潜りこの辺りに停めました。

手前が拝殿、その背後は祭文殿というようです。


こちらが祭文殿。


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