[大和国城上郡] 大神神社





【古事記神話】本文 
(~その82 御諸山に坐す神)






これまで私がもっとも多く拝した

大神神社の大物主命が今回の主人公。


子供の頃からなので数百回の参拝になります。


大和盆地の中南部に住む者にとっては特別なお社であり、守護神として

弥生時代から、或いは縄文時代から崇められてきた「三輪山に坐す大神」。


ただし…

この神が如何ともし難く謎なのです…。



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【読み下し文】
是に於ひて大國主神 愁へて而してされる告りたまはく 吾獨して 何にか能く此の國を得作らむ 孰れの神と 吾は能く此の國を相作らむ耶 是の時 海を光して依り來る神有り 其の神言ふ 我前を能く治むば 吾能く共と相作り成す 若し然らざるは國成り難けり 爾に大國主神曰く 然らば治め奉るの状は奈何に 答へて言ひしは 吾をば倭の青垣の東の上に伊都岐奉れ 此は御諸山の上に坐す神也



【大意】
ここに大国主神は憂いて言いました。「私は独りでどうやってこの国を作ればいいのか。どこかの神と一緒に作りたいな」と。この時、海を照らして依り来る神がありました。その神が言うには「私をよく祀れば一緒になって作ろう。そうしなければ難しいだろう」と。大国主神は「ならばどのように祀らせて頂くのがよろしいでしょうか」と言えば、「私を倭(大和)の青垣の東の山に斎祀れ」と答えました。この神は「御諸山」の上に坐す神です。


【補足】
少彦名命は常世の国へ行ってしいました。独りぼっちとなった大国主命は新しい相棒を探さねばなりません。

◎海を照らして現れた神は、倭(大和)の青垣の東の上(山)に祀れと。そうすれば一緒に国作りをしてやろうと言います。
これが「三諸山に坐す神」であると。

◎ここでは神名は記されません。また「三諸山」という山名も現在は存在しません。
紀の第八段一書 六の記述から、この神が大物主神であり、山は「三輪山」、祀ったのは大神神社であることが導き出せます。

◎紀の第八段一書 六
━━神光が海を照らし忽然と浮来するものがあり、「若し私がいなければ、汝はこの国をよく平らけくはできなかった。私が居たから汝は大きな事績を立てられのだ」と。そこで大己貴は問うた「然れば汝はどなただ」と。すると「私は汝の幸魂奇魂だ」と答えた。大己貴神曰く「なるほど、汝は私の幸魂奇魂だと承知した。何処に住みたいと思うのか」と。すると答えて曰く「私は日本国の三諸山に住みたいと思う」と。そこでそこに宮を営み鎮めさせた。これは大三輪の神である。その神の子は甘茂君(加茂君)等・大三輪君等・また姫蹈鞴五十鈴媛命。また事代主神が八尋熊鰐(ヤヒロノクマワニ)と化し、三嶋溝樴姫、或いは玉櫛姫命とも云うと交わり生まれた子が姫蹈鞴五十鈴媛命。この神は神日本磐余彦火火出見天皇(神武天皇)の后です━━(大意)

◎上の紀の記述に於いても「大己貴神の幸魂奇魂」「大三輪之神」と記されるのみで、大物主神であるとは記されていません。

記ではこの後で「美和之大物主神」と記されます。紀では崇神天皇の段に「大物主神」として記されます。

これらを統括して以下が成立します。
大国主命の幸魂奇魂
=大物主神
=「三輪山(三諸山)」に坐す神

問題は「大国主命=大物主神」なのかどうか。古来より議論されています。なお大神神社は公式に「大国主命=大物主神」としています。

記の記述を見る限り別神であると解釈するのが妥当でしょうか。
一方で紀では、(1)同神とする、(2)大己貴神の幸魂奇魂とする(上述)、(3)まったく別の神とする、以上の3通りが併記されています。

当ブログに於いては、「大物主神=事代主神」と考えています。村島秀次氏や宝賀寿男氏などがこの説を採っています。

この件については、大物主神が再び登場する場面で再度触れることにします。


「三輪山」


[大和国城上郡] 大神神社




今回はここまで。

「三輪山に坐す大神」の正体、
結論をはっきりさせず次回持ち越しとなりました。

もちろん次回に於いてもはっきりとはさせられないのですが…。


*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。