塩釜神社 (伊倉津鹽竈神社)


伊勢国壹志郡
三重県津市雲津伊倉津町993
(駐車は下部写真参照)

■祭神

「雲出川(くもずがわ)」が河口直前で南北に分かれ、北側の「雲出古川」左岸畔に鎮座する社。「雲出」は、行く手を塞ぐほどに塩焼き小屋の煙が立っていたとも。
◎三重県神社庁は以下の創建譚を紹介しています。
━━延元三年(1338年)9月、結城宗広公は、義良親王を奉じ、北畠顕家公と共に、伊勢の大湊より、錦旗を翻して陸奥の大軍を率いて海上睦奥に向かったが、遠州灘で暴風に遭遇し、海上を漂い軍船は四散し、宗広公の軍船は、伊会津北浜に漂着されたのを、村民が発見し船中に甕竃大明神が、奉斎されていたのを認め、以来尊崇のあまり鎮座式を挙げて、伊倉津の産土神として祀った由、古老のロ伝である━━

「伊勢の大湊」とは「宮川」河口の三角州にあり、中世以降、伊勢湾の商業・海運の中心地だったようです。

◎古老談に基づいた創建譚は、北畠顕家が陸奥将軍府へ下向した時のもの。後醍醐天皇による「建武の新政」の統治機関の一つで、天皇より寵愛された北畠親房・顕家父子がその重責を担いました。「太平記」にはこのことが記されます。
安濃郡には難破し失命した「宗広塚」があったとされ、江戸時代には津藩藤堂高虎が結城神社を創建し手厚く祀ったと伝わります(後ほど記事UPします)
◎明治四十一年には国玉神社へ合祀され雲出神社と改称(未参拝)。ところがで大正十二~三年頃に伊倉津にて火災が多発。当地区に神が祀られていないことが原因とされ、雲出神社の遥拝社として創建。昭和六十二年より陸奥国の鹽竈神社より分霊を受け現在に至っています。


車は奥の位置に停め置きました。





建速須佐之男命・綿津見大神・大山祇大神が祀られています。




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