◎ 春期大祭(+崇敬講大祭) 参列 
等彌神社(令和六年 5/5)





この日は等彌神社
「春期大祭」+崇敬講大祭に参列。


「春期大祭」参列は令和三年以来。

等彌神社の大祭は令和四年の「秋の崇敬講大祭」以来となりました。




「三輪山」信仰に始まり…
等彌神社の神域「鳥見山」にて神武天皇が「大孝」を述べ(最古の「大嘗祭」)…
邪馬台国もこの地ではないかと…
日本国黎明期の都(天皇の宮)が築かれた…

などの歴史を有する桜井市。


近代には「木材の集散と加工の町」として大いに栄えました。その関係者たちから篤い崇敬を受けたのが等彌神社

「桜井町」には、日本トップのゼネコン代表者たちも足繁く御挨拶に伺うほど。

後に「三輪町」や「初瀬町」を合併し「桜井市」となりましたが、あくまでも中心地は等彌神社の氏子区域である旧「桜井町」。


現在は廃れた街並みとなったものの、
大祭ともなるとその華々しい歴史を彷彿とさせます。


近いうちに改定を施します。




佐藤宮司が神前へ登殿する際に目が逢い、
「○○さん!どうぞ上にお上がり下さい」と。

いやいやいや~
丁重にお控え申し上げました。


こんな来賓揃いの中へ紛れ込めるほどの
厚顔ではございませんもので(汗)(汗)(汗)

しかも氏子あってのお社。
氏子たちがこのお社を支えてきたのです。


あくまでも部外者、
端からそっと奉斎申し上げます。




佐藤宮司の全身全霊の祝詞奏上の後は
恒例の「浦安の舞」。


これがまた大変に素晴らしいもので
当社の名物でも。




上ツ尾社での祭事に続いて
弓張社へ。




そして下ツ社へ。


佐藤宮司から
「○○さん、下ツ尾の方へもぜひ!」と。

はい!承知しております!
先回りして陣取っておきます。

もちろん来賓様たちがご到着なされたら
下手に捌けますが…。


こちらでは再び佐藤宮司が祝詞奏上。
(冒頭写真)




このお社の大祭の嬉しいのが、
祭典終了後の「御神楽券」。

10人未満の単位で拝殿へ昇殿、
禰宜による祝詞奏上と「浦安の舞」を個別に。



毎度のことながら
大変にありがたく嬉しいことですが…

禰宜さんに、巫女さんに、
1日何回なされるのでしょうか。

10回そこらでは済まんやろな…。



頭の下がる思い。



佐藤宮司も上と下と
両社で全身全霊を込めた祝詞奏上。

神職の皆さん方は大変にお疲れでしょう。



こういったことがあるから
いつまでも崇敬されるお社であり続けられるのでしょう。



午後からは氏子スタッフさんたちによる
屋台も出店。

今回も早々に退散させて頂きましたが。



大神にとっても
氏子にとっても
崇敬者にとっても
宮司を始め神職方々にとっても

大変に佳き日となったことでしょう。