[大和国城下郡] 糸井神社



■表記
紀 … 糸媛
記 … 糸井比売
*神名の相違は後述します


■概要
第15代応神天皇の妃。記紀に神名は見えるも事蹟は記されません。

◎応神天皇の妃について記紀に於いて相違が見られます。
*紀 … 「桜井田部連男鉏(オサヒ)妹 糸媛」
*記 … 父→嶋垂根、女(娘)→糸井比売
紀と記の対応から、糸媛=糸井比売とするのが定説。

◎大和盆地の中央部、城下郡、現在の磯城郡川西町唐院に島の山古墳という、周濠を有した巨大前方後円墳が築かれています。また隣接して比賣久波神社が鎮座。また東方600~700mの川西町結崎(ゆうざき)糸井神社が鎮座。これら三所が糸媛(糸井比売)に関する史跡とみられています。

◎川西町に隣接するのが三宅町。垂仁天皇の御代に定められたという「倭の屯田」(記述は仁徳天皇紀)があったとされる地。
かつては両地を以て「三宅郷」。ここを拠点にしていたとみられるのが三宅連と糸井造。「新撰姓氏録」には、三宅連「大和国 諸藩 新羅国人天日鉾命之後也」、糸井造「大和国 諸藩 三宅連同祖 新羅国人天日鉾命之後也」とあります。糸井造は川西町の糸井神社の周辺であったかと思われます。

◎これら氏族が奉斎していたのが、比賣久波神社糸井神社とされます。ともに式内比定社。
比賣久波神社は「桑の葉」が御神体とされ、久波御魂神として祀られますが、天八千千姫も祀られています。「倭姫命世記」には、「天棚機姫神の裔 八千千姫をして毎年夏四月秋九月に神服を織らしめもって神明に供ふ」とあり、いわゆる「棚機津女」。
一方の糸井神社は豊鋤入姫命がご祭神ですが、本来のご祭神は糸媛(糸井比売)であろうとみられています。

◎これらから天八千千姫も糸媛(糸井比売)のこと思われます。そして比賣久波神社に隣接する島の山古墳の被葬者は糸媛(糸井比売)であろうかと。厳密に言えば糸媛(糸井比売)は前方部に眠り、父の嶋垂根(シマノタルネ)が後円部に眠っていると考えられています。

◎以上の説を唱えているのは皇學館大學の学長をも務めた歴史学者 田中卓氏。歴史地理学者の千田稔氏も同様の見解。
田中卓氏は嶋垂根(桜井田部連男鉏)の「桜井」とは、大和国城上郡または十市郡の「桜井村」「桜井庄」(現在の桜井市)であろうとしています。

◎これに対して異論を唱えているのは、戦後の歴史研究をリードした第一人者 直木孝次郎氏。大和国城上郡や十市郡がこの時代に「桜井」と呼ばれていた根拠がないとしています。

◎この「桜井」については第27代安閑天皇の御宇、大伴金村の進言により四人の妻にそれぞれ屯倉を授けています。「桜井屯倉」がその一つ。そしてこれを桜井田部連等に税を主掌させたとあります。

その有力候補地は2ヶ所。
*河内国河内郡「桜井郷」(現在の東大阪市六万寺町辺り)
*河内国石川郡「桜井」(現在の富田林市桜井)

「桜井」を河内国のいずれかとするのであれば、田中卓氏の説が成り立たないとしています。
これは多くの著書のうちとりわけ「河内政権論」で知られる直木孝次郎氏の説。

そもそも3ヶ所の史跡が糸媛(糸井比売)にまつわるものとしているのは、いずれも脆弱な論拠によるもの。糸井神社のご祭神は豊鋤入姫命となっており、比賣久波神社は天八千千姫。島の山古墳の被葬者は不明。

3ヶ所の史跡は、隣の三宅町という地名、糸井神社の社名などを含めた総合的な推測から糸媛(糸井比売)にまつわるもの。もし一つでも崩れれば、まったく成り立たないといった危険性を含んでいます。
とはいえ直木孝次郎氏は田中卓氏の説に異議を唱えるも、島の山古墳の具体的な被葬者名を提示していません。

◎問題は応神天皇と安閑天皇との時代差が150~200年ほどはあること。また記紀の記述をどこまで信用していいのかということ。

もし仮に島の山古墳の被葬者が糸媛(糸井比売)でないとすると、この時代に、この地で、この規模でといった要件を満たす者が考え難いという問題もあります。


■系譜
父 … 嶋垂根
夫 … 応神天皇
兄 … 桜井田部連男鉏


■関連する神社等(参拝済み社のみ)
[大和国城下郡] 糸井神社
[大和国城下郡] 比賣久波神社
[大和国城下郡] 島の山古墳



[大和国城下郡] 島の山古墳



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