☆島の山古墳
大和国城下郡
奈良県磯城郡川西町唐院
(比賣久波神社のP利用)
*出土品から女性か
*出土した大量の手玉から司祭者(シャーマン、巫女)であるようにも思われる
*規模から鑑みて有力首長の墳墓か
*豊鋤入姫説、糸媛(糸井比売)説など
1400点もの石製腕飾類、尋常ではない量が出土したことで、かなりザワついた記憶があります。
普通に考えて被葬者はやはり女性司祭者でしょうか。
この古墳を考える際の大きな手がかりとなる社が近くに2社鎮座します。
まずすぐ横の比賣久波神社。こちらは「桑の葉」を御神体とするであろう社。天八千千姫などという棚機津女が祀られていると考えられます。
糸井比売は「嶋垂根(シマノタルネ)の女(娘)」と紀には記されます。「嶋=島」、「嶋垂根→島根山古墳(当古墳の別名)」。
あまりにも符号し過ぎていてもうこれで決まり!…でいいのではないかと思っていますが。田中卓氏は前方部に糸井比売、後円部には父の嶋垂根が眠っていると推論しています。現在はこの説が有力視され、千田稔氏もこれと同じ説を提唱。
記の仁徳天皇の段には以下の説話が記されます。
天皇は糸井比売の子である速総別王(ハヤブサワケノオオキミ)を遣いにやり女鳥王を得ようとしたが、女鳥王は石之日売皇后の嫉妬を恐れて速総別王の妻となります。そして女鳥王は速総別王に天皇暗殺を仕向けます。これが発覚し追討将軍 山部大楯連により殺害されます。この時、女鳥王が着けていた「玉釧」を奪い妻に与えました。結局、大楯連も死刑となっています。
この「玉釧」を彷彿とさせる管玉が当古墳より出土しています。
これらとは対照的に、被葬者を糸井比売としない説を上げているのが直木孝次郎氏。
そもそも当古墳、糸井神社、比賣久波神社の三所ともに糸井比売にまつわる史跡であるという確証は無く、三所の総合的な推量により糸井比売であろうとされています。つまりいずれか一つでも異なると、この説が成り立たないという薄弱な根拠によるもの。
なお直木孝次郎氏は、具体的な被葬者名を上げるまでには及んでいません。