[越後国一ノ宮] 居多神社 境内の大国主命、沼河比賣(奴奈川姫)、赤子は建御名方命像。

(写真は2013年10月撮影のもの、まだあるのでしょうか)






【古事記神話】本文 
(~その76  沼河比賣への求婚 1)






嫡妻の須世理毘賣の嫉妬を畏れた八上比賣が、生まれたばかりの子(木俣神)を木俣に挟み置きて、因幡国へと出戻りました。

嫡妻がいて、別れた八上比賣がいるのに、大国主命は次の女性へと向かいます。

もちろん支配下に収めて政略結婚をしたのでしょうが。



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【読み下し文】
此の八千矛神 將に高志國の沼河比賣を婚はさむとして幸行くの時 其の沼河比賣の家に到りて 歌ひて曰く
━━夜知富許能 迦微能美許登波 夜斯麻久爾 都麻麻岐迦泥氐 登富登富斯 故高志能久邇邇 佐加志賣遠 阿理登岐加志氐 久波志賣遠 阿理登岐許志氐 佐用婆比邇 阿理多多斯 用婆比邇 阿理迦用婆勢 多知賀遠母 伊麻陀登加受氐 淤須比遠母 伊麻陀登加泥婆 遠登賣能 那須夜伊多斗遠 淤曾夫良比 和何多多勢禮婆 比許豆良比 和何多多勢禮婆 阿遠夜麻邇 奴延波那伎奴 佐怒都登理 岐藝斯波登與牟 爾波都登理 加祁波那久 宇禮多久母 那久那留登理加 許能登理母 宇知夜米許世泥 伊斯多布夜 阿麻波勢豆加比 許登能加多理碁登母 許遠婆━━


【大意】
八千矛神(ヤチホコノカミ、=大国主命)は高志国(こしのくに)沼河比賣(ヌナカワヒメ)と結婚しようと思い出かけました。沼河比賣の家に着き、歌を詠みました。
━━八千矛神の尊は八嶋の国で方々に妻を求めようと、遠い遠い高志国まで賢くて美しい女性がいると聞き、結婚しようとここまでやって来たのです。まだ大刀の緒も解かず、羽織も脱がず、女(おとめ)の寝ている板戸を開けようと、立ったまま押し揺さぶり引き揺さぶりと試みています。青山にはヌエの鳴き声。野の雉の叫びは響き、庭の鶏の鳴き声も。いまいましくも鳴く鳥どもめ、鳴けないように討ってしまうぞ、天からの遣いよ!伝えたいのはかようの事です━━


【補足】
◎八千矛神は長々と歌を詠みます。音に対して漢字を宛てただけのもの。
よくよくみると、先日UPした「祝詞」の修辞法とそっくり!「列挙法・反復法・対句法」がふんだんに用いられています。

もちろん本当にこのような歌を詠んだわけではなく、出雲族による高志族に対しての武力制圧でしょう。鳴き声のうるさい鳥たちは敵対する者たちを、遠回しに表現したように思うのは私だけでしょうか。

飛鳥時代から奈良時代の人はこういった文体を好んだということが窺えます。貴族が暇をもて余し、文学が発展した平安時代には目で読み感情に訴える文章になっていったのでしょう。


◎大国主命が「八千矛神」で登場してきました。確か…スサノオ神から、これからは「大穴牟遲」ではなく「大国主命」と名乗れと言われたはず。細かいことはさておき、「八千矛神」の神名から考えられるのは「武力」。「国作り」において「武力」で進めていこうとした表れでしょうか。

◎「高志国」は、福井県敦賀市から山形県の鶴岡市や酒田市辺りの広大な地域。後に越前・越中・越後・能登・加賀の国へと分かれました。

◎神話の舞台は沼河比賣が住んでいたとされる越後国の西端、現在の糸魚川市。
沼河比賣は「翡翠(ヒスイ)の女神」とされる女性首長であったと思われます。このような場合は大抵は司祭者であり、つまり巫女(シャーマン)であったと思われます。
出雲族は「翡翠」を狙い、高志族を進攻したということでしょう。


(写真は2013年10月撮影のものです)



今回はここまで。

次回は八千矛神の歌に対する反歌的なもの。
また1ヶ月ほど空けるのもアレでしょうから、続けて記事UPします。



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