☆ 「來目邑傳稱地」碑 (附 臥竜石)



大和国高市郡
奈良県橿原市久米町786
(住所は道路向かいの久米御縣神社のもの)
(いつも境内の南側に停め置きし参拝、久米寺に停めてもいいのかどうかは未確認)



記紀神話に記される、神武東征後に大來目が住んだという「來目邑」の伝承地に立つ石碑。「畝傍山」の南西麓。道路向かいには久米御縣神社が鎮座、すぐ近くに久米寺があります。

◎「來目邑傳稱地」碑
神武天皇が大和平定を果たし、論功行賞について記される条に「來目邑」がみえます。
━━二年春二月二日、天皇功行賞を定む。道臣命に宅地(いへどころ)を賜はしめる。異の寵を以て築坂邑に居る。亦た使ひ大來目、畝傍山西の川邊に居る。今來目邑と號づくは其の縁也━━

「大來目」とは久米氏(来目氏)の祖。その前に記される「道臣命」とは大伴氏の祖。神武東征の際に先鋒役を担い、また重要な局面では最上級の活躍をみせました。
「築坂邑」は「來目邑」の西隣に比定。「畝傍山西の川」とあるのは現在の「高取川」に比定。

紀には道臣命が大來目を率いて従軍し皇軍を指揮、記には道臣命と同格に大久米命(大來目)に記されています。

これについて宝賀寿男氏(日本家系図学会会長・家系研究会会長)は、かつて大伴氏と久米氏は同族であったという見方をしています。それぞれが分岐したのは後の崇神天皇の頃であろうと。つまるところこの説を取るなら、「畝傍山」の南西一帯、「來目邑」「築坂邑」は大伴氏・久米氏の分岐前の根拠地であるということに。

◎「臥竜石」
旱魃の際にこの石が鳴動すれば降雨があるとされるもの。磐座と解していいかと思います。


こちらが「臥竜石」。

西方500mほどを南東から北西に向かい流れる「高取川」。


道路向かいの久米御縣神社

「臥竜石」越しに「畝傍山」を。灯籠が並ぶところが久米御縣神社



*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。