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☆ 「來目邑傳稱地」碑 (附 臥竜石)
◎「來目邑傳稱地」碑
神武天皇が大和平定を果たし、論功行賞について記される条に「來目邑」がみえます。
━━二年春二月二日、天皇功行賞を定む。道臣命に宅地(いへどころ)を賜はしめる。異の寵を以て築坂邑に居る。亦た使ひ大來目、畝傍山西の川邊に居る。今來目邑と號づくは其の縁也━━
「大來目」とは久米氏(来目氏)の祖。その前に記される「道臣命」とは大伴氏の祖。神武東征の際に先鋒役を担い、また重要な局面では最上級の活躍をみせました。
「築坂邑」は「來目邑」の西隣に比定。「畝傍山西の川」とあるのは現在の「高取川」に比定。
紀には道臣命が大來目を率いて従軍し皇軍を指揮、記には道臣命と同格に大久米命(大來目)に記されています。
これについて宝賀寿男氏(日本家系図学会会長・家系研究会会長)は、かつて大伴氏と久米氏は同族であったという見方をしています。それぞれが分岐したのは後の崇神天皇の頃であろうと。つまるところこの説を取るなら、「畝傍山」の南西一帯、「來目邑」「築坂邑」は大伴氏・久米氏の分岐前の根拠地であるということに。
◎「臥竜石」
旱魃の際にこの石が鳴動すれば降雨があるとされるもの。磐座と解していいかと思います。
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