出雲国意宇郡(松江市東出雲町揖屋)の「黄泉比良坂」。 *写真は2016年頃撮影したもの






【古事記神話】本文 
(~その70 根堅州國 1)






「古事記」神話の主人公たちとも言える須佐之男神と大国主神。こちらでは義理の親子となっています。

いつも思うことですが…
感情剥き出しに描かれる須佐之男神と、
感情がほとんど描かれない大国主神。

白兎を助ける場面でも、
優しさが滲み出るような言葉は発してはいるものの、喜怒哀楽の感情を表した言葉そのものはありません。八十神から迫害を受けている時も然り。

鈍感?

いやいや…そんなことはないでしょうが。

そこに喜怒哀楽の感情を盛り込んで読むのが、密かな楽しみ。盛り盛りにして楽しんでますが(笑)

漫画家さん、芸人さんなら
もっと面白くできるんでしょうけど。

アメンバー限定で
「(裏)大国主神 神話」とかやってみようかな。


御祖命 子に告りて云ふ 須佐能男命の坐す根堅州國に參る可し 必ず議りたまふ也 故に詔命ずる随に 而して須佐能男命の御所に參り到りしかば 其の女 須勢理毘賣出で見て 目合ひして爲す 而して相婚ひ還り入りて 其の父に白して言ふ 甚だ麗しき神來たり


【大意】
御祖命(刺国若比売命)は子(大穴牟遲命)に言いました。「須佐能男命が坐す根堅州国に参りなさい。必ず相談に乗って下さるでしょう」と。大穴牟遲命は命じられたままに須佐能男命がおられる所へ参ると、その娘である須勢理毘賣が出て来てまぐわい、契りを結びました。そして父の元へ還り「甚だ麗しい神が来ました」と申し上げました。


【補足】
ここに居ては八十神たちに殺されてばかりなので、母(刺国若比売命)は大穴牟遲命を逃がしました。

◎「根堅州国(ねのかたすくに)」
古来より多くの先達が議論を重ねられています。私ごときが口を挟む余地などはないので、ここはWikiに譲ることにします。

*記の記述
・妣國(ははのくに、=母の国) … イザナギ神より「海原」を治めよと命じられるもスサノオ神が駄々をこねる場面(→ 第41回目の記事)
・根之堅州國 … 上の駄々をこねる場面で「妣國根之堅州國」と記される、そして今回の場面

*紀の記述
・根國
・底根國

*「祝詞」内
・根國底國

「根国」はその入口を「黄泉国」と同じ「黄泉比良坂」(よもつひらさか)としています(この後に出てきます)。ところが「大祓祝詞」では海の彼方となっています。

Wikiでは安本美典氏の出雲東部一帯を「根国」とする説や、柳田國男氏の「ニライカナイ」説などが挙げられています。

*「ニライカナイ」とは沖縄などで信仰される「神の聖地」(理想郷)。


◎これとは別にちょっと興味深い説があります。近年めざましいご活躍をなされている三浦佑之氏のもの(個人的にファンです)。

*「黄泉国」と「根堅州国(根国)」は別
三浦祐之氏が運営されるサイト(神話と昔話 三浦佑之 宣伝板)では以下のように示しておられます。
━━黄泉国と根堅州国(根国)という、異質な両者にみることができる。ところが、この二つの死後世界は、それぞれ異なった性格を示していながら…━━

そして記においては(紀においては具体的な記述そのものが無い)、「妣國」と「黄泉比良坂」という二つのことばにより「黄泉国」と「根堅州国(根国)」が結び付けられているだけであると。

さらに以下のように示しておられます。
━━妣国とは根堅州国(根国)でしかなく、そこは祖たちの魂の宿る世界と考えられていたとみるべきなのである。つまり、妣とは、亡き母も含めた祖先たちと考えてよく、そうした死者たちの魂の集まる異界が根堅州国と考えられており、そのために「妣国根堅州国」と表現されているわけで、「古事記」の文脈から独立させた場合、妣国を黄泉国とする根拠は見出せないのである。
一方、黄泉比良坂は、その名称からも黄泉国への出入り口以外には考えられない。「古事記」で根堅州国と地上との出入り口と語るのは、黄泉国と根堅州国とを、ともに出雲国に割り振るという、記紀神話体系のイデオロギーによるもので、「古事記」の体系から切り離した根堅州国訪問神話においては、出入り口を黄泉比良坂とする語り口をもっていなかったと思われる━━

長いので一旦切りました。
続けます。

━━三品彰英が言うごとく、「根ノ国の祖神であるスサノヲ」と「高天原系の祖神」アマテラスとを「同胞として血縁的に結びつけ」ようとしたためであろう。(「日本建国神話の三類型」著作集一所収)高天原系の祖神アマテラスおよび月ヨミはイザナキ・イザナミの子として語られていたであろうが、その対立者スサノヲはもともと根堅州国の神であって、アマテラスのキョウダイなどではありえなかったか━━

結局のところこういうことなのではないかと。明確に示しておられます。だから三浦氏が書かれたものを目にすると、目を通そうかとなるのです。

◎須勢理毘賣は、大国主命のたくさん存在する妻の一人。なかでも「正妻」とでも言うべきか、Wikiでは「嫡后」というワードで表現しています。

既に登場した八上比売の他、多紀理毘賣命、神屋楯比売命、沼河比売、鳥取神。
「出雲国風土記」「播磨国風土記」には他にも多数掲載されています。子供は180人とか、キチガイじみた数字が計上されます。

いつかの時点でまとめます!
(逃げ切れないよう高らかに宣言を…)

ちなみに須勢理毘賣命の名前についてWikiでは以下のように。
━━「須勢理」は「進む」の「すす」、「荒ぶ(すさぶ)」の「すさ」と同根で勢いのままに事を行うこと、「命」が着かないことを巫女性の表れと解し、「勢いに乗って性行が進み高ぶる巫女」と考えられる━━(「新潮日本古典集成」より引用)

ま…「激情家」といったところでしょうか。それとも「強妻家」?(笑)
一目惚れで結婚にまでこぎつけてますからね…。

八十神には2度も殺され…
「強妻」には尻下に敷かれ…
挙げ句、ヤマトには国を譲らされ…

国土開拓のフロンティア?パイオニア?
そのような威厳はまったく見えないのですが…。


冒頭写真の「黄泉比良坂」の案内板。


*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。