初宮神社 (奈良市鍋屋町)


大和国添上郡
奈良市鍋屋町10
(P無し、参拝のためのごく短時間なら社前停め置きもできそう)

■祭神
神祇官八神
神皇産霊神 高皇産霊神 魂留産霊神 生産霊神 足産霊神 大宮賣神 御膳津神 事代主命
[配祀] 伊勢皇大神 春日大神 住吉大神


奈良県一の市街地、近鉄奈良駅前より北東すぐ、奈良女子大学の脇に鎮座する社。春日大社の境外末社。

◎鎮座地は奈良市「鍋屋町」。「平城坊目考」(寛政七年・1795年)には別名として「石切町」「黒門前」とも呼ばれるとしています。平城京の外京内、後の「奈良町」二百五町の一。近年は「きたまち」などとも呼ばれる地域内。
当社は興福寺の創建当初の北東角、境内に隣接して鎮座していたようです。
◎社頭案内には以下のように示しています。
━━今から千二百年前、奈良に都があった時、宮中で神祇官の祀っていたハ神殿である。この八柱の神は、むすびの神として萬物造化、結婚生活…(中略)…御神徳を垂れ給ふ神々である。
崇徳天皇、長承元年(1132年)春日若宮創立の頃、九月一日この八神の外に伊勢、春日、住吉の大神を併せお祀りしたもので、若宮おん祭には田楽法師は必ずここへお参りして芸能を奉納、当日の事始めをする古例である。これがための初度の宮とも称す。現在でも祭礼当日ここで田楽を行ふ━━
◎「八神殿」とは、平安京の大内裏(宮中)、神祇官西院において奉斎された重要な神々のうちのなかでも、さらに重要な八神が奉斎された祠の総称。
神名帳では「御巫(みかんなぎ)祭神 八座 並大 月次新嘗」と、式内大社に列しています。全国3132社の筆頭。Wikiにおいては、
━━8神に関する最も重要な祭祀は、新嘗祭前日に行われた鎮魂祭である。鎮魂祭は天皇の霊魂の活力を高めるための祭りで、八神殿の8神に大直日神を加えた9神により、浮遊する霊魂を身体の内に止めて心身の統一が企図された━━と記しています。
◎この「八神殿」の始源は不明。もっとも古くは「古語拾遺」(大同二年・807年)に見える記述。ただしその書の中では、神武天皇の御宇に「高御産霊神と天照大神の詔に従い神籬を建てた」のを初めとしています。これは前後の記述も含め鑑みて、記紀で言うところのいわゆる「(神武天皇が)皇祖天神を祀って大孝を申べた…」というもの。史上初めての「大嘗会」。
◎以降どのような形で継承されたのは不明ながら、平安京の宮中にて祀られた「八神殿」は当社から遷座されたものと考えられます。つまりその元宮であろうと。
◎当社について「平城坊目考」(寛政七年・1795年)は以下のように記されます。
━━初宮大明神 一殿 俗に初度の宮と云ふ 当座は開化天皇時代の八神殿なり その後御堂関白道真公が再興された (以下当社由緒と同内様)━━
創祀を開化天皇の御宇に求めるのはおそらく、宮が近くにあったとされることによるものではないかと思われます(→ 率川大神御子神社)。
欠史八代とされる天皇であり、また本当にここに宮を営んだかどうかも定かではないことから、当社地をもって開化天皇の旧跡とするには甚だ疑問。奈良時代の旧跡ではないかと考えます。
◎「若宮御祭」とは春日大社の別殿、若宮神社の祭祀として奈良市東部市街地一帯にて行われる、大和国最大の祭。保延二年(1136年)に関白藤原忠通によって始められたと伝わります。
◎「田楽」については、春日大社の公式サイトにて以下のように示されています。
━━華やかな五色のご幣をおし立てて、綾藺笠(あやいがさ)をつけ、編木(ささら)・笛・太鼓を持つ集団が田楽座である。おん祭で行われる芸能のうちで最も興福寺と深い関係をもってきた芸能集団で、 かつては祭礼当日までのさまざまな行事に加わっていたが、今でも16日には本社及び若宮社への宵宮詣、17日に はお渡りに先立って初宮神社(当社)への初宮詣、松の下・お旅所と各所で芸能の奉納を繰り広げている。奈良一刀彫りの起源といわれる人形を飾った大きな花笠を頭上に乗せた笛役の二藹(ろう)はひときわ人目を引く。松の下では「中門ロ」「刀玉(かたなだま)」「高足」等を演じる━━



境内社として市岐島姫命と稲荷大神が挙げられています。小祠とご本殿奥に立つ石がそれかと思います。どちらがどちらかは不明。



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