見初社
(みそめしゃ)


大和国添上郡
奈良市西御門町14-2
(登記は「西御門町14-2」であり、「13-2」とするWikiは誤植と思われる)
(P無し)

■祭神
底筒男命
(「奈良県史」による)
[左] 春日
[中] 文曲
[右] 住吉
(「平城坊目考」による)



奈良県一の市街地、近鉄奈良駅前の一等地、「大宮通り」沿いの奈良市「西御門町」に鎮座する社。社前はバス停、境内はビル群に挟まった状態。門扉は閉ざされており遥拝のみ。
◎「西御門町」は興福寺の「敬殿門」(西御門)前にできた町。当社はその門跡から西方へ200m足らずの地。「奈良町」二百五町の一。
◎「元要記」(鎌倉時代以降に成立した社寺の沿革を説いたもの、1600~1700年頃編纂)に「西御門」についての記述が見えます。「七朝の宮門を建立して北斗七星の七星をそれぞれに配し、西御門には文曲星と豊斟渟尊(トヨクムネノミコト)を祀り、桒(桑)を植えた」(大意)とあります。
◎「文曲星」とは北斗七星の四番目の星(下部に図示)。「学問や知識、芸術」などを司るなどと言われたりもしているようです。
一方の豊斟渟尊は、紀では神代七代の三代目(國常立尊、國狹槌尊の次)、記では同二代目(國之常立神の次)に生まれた神。雲を神格化した神とされます。熊野速玉大社においては下四社の第九段、十万宮にて祀られており、本地仏として普賢菩薩が宛てられています。これは梵名のサマンタバドラで「普く(あまねく)賢い者」という意味であるとのこと。「文曲星」と類似するように思われます。
また「桒(桑)」は聖なる樹として、そして霊力を持つ樹として考えられていたようです。
◎「平城坊目考」(寛政七年・1795年)には以下のように記されています。

━━現在一殿に三座を祀る小社あり、北側に会所のある場所がその遺跡にあたる。祭神 左 春日 中 文曲星 右 住吉。
老翁が言うには、春日の神が本宮嶽(御蓋山)に鎮座された時、瑞雲が立ったのを見初めし所であったことから、今もこの社を見初の社というと。神護景雲年(767~770年)は、神亀二年(725年)より四十年ほど後であることから、春日社と住吉の神は後に祭り添えられたのであろうか━━(大意)

◎これとは別に「奈良市神社明細帳」(明治二十九年)には、永保三年(1083年)第72代白河天皇の御宇に勧請され、さらに寛治六年(1092年)に白河天皇の勅命で「西御門鎮守 三初大明神」と名付けられたとあるようです。具体的な祭神は不詳。

◎宝永元年(1704年)には火災で焼失。「奈良坊目拙解」「奈良町風土記」には、その頃には春日神社と称されていたとあるようです。



バス停前の人通りの多い歩道沿い、この門構えが見えるだけなので見落とす可能性があります。

赤三角で示したのが「文曲星」。




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