【古事記神話】本文
(~その60 須賀須賀し)





記事を上げられる神社等のネタが無いため、進めておきたいテーマ記事を上げます。

八俣遠呂智をやっつけた速須佐之男命。
宮居を探し求めます


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【読み下し文】
故に是を以て其の速須佐之男命 宮造作る可くの地を出雲國に求ぎたまひし 爾に須賀 [此の二字以て音 下此れに效ふ] の地に到り坐して 而して詔りして 吾此の地に來まして我が御心須賀須賀斯 其の地に宮を作りて坐しける 故に其の地は今に於ひて須賀と云ふ也 大神 須賀に宮を作るの時 其の地自り雲立ち騰りき 爾に御歌作りき 其の歌曰く
夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁 
是に於ひて其の足名椎神を喚きて 告りて言ふは 我宮の首の任れ 且た負ふ名を稲田宮主須賀八耳神と號く


【大意】
速須佐之男命は宮を造るのに相応しい地を探し求めていましたが、須賀の地に至り、「私の心は須賀須賀しい」と言いました。そしてこの地に宮を造ったのです。須賀と言うようになったのは今のこと。宮を造っている時に雲が立ちのぼり歌を作られました。
━━八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに
八重垣作る その八重垣を━━
そして足名椎神を喚び寄せ、「私の宮の長になって欲しい」と言い、稲田宮主須賀八耳神という名を与えました。


【補足】
◎八俣遠呂智退治を成し遂げた速須佐之男命は、櫛名田比賣と結婚もしたことだし、宮造りをしようかと。

探し回って良さげな所がありました。「なんと須賀須賀しいことだ~!」と。それが地名由来になったと記されます。

「スガ」の語源についてはいろいろありますが、個人的には「洲処(スカ)」からの転訛とするのがもっともしっくりときます。
ところが谷川健一氏も指摘しているように、「鉄」の匂いが強いとも。

◎「八雲立つ…」という歌は日本最初の和歌としても名高いもの。

◎「須賀」の比定地ですが、一般に大原郡の須我神社と言われます。そして奥宮(八雲山夫婦岩)が歌を詠んだ地であると。

「出雲国風土記」には八俣遠呂智退治の神話は一切記されていません。須我神社には須義禰命という神について語られています。
八俣遠呂智退治が紀記編纂者による創作話とするなら、速須佐之男命の宮とは合致しません。

そうすると速須佐之男命の宮とするなら、やはり熊野大社ではないかと思われます。ハ雲山夫婦岩はちょうど須我神社熊野大社の間に座しています。

◎足名椎に「稲田宮主須賀八耳神」という新しい名が与えられました。まったく定着していない神名ですが。
「八」と「耳」。「八」は出雲地方では殊に多く見られますが、「耳」は谷川健一氏等が唱える「ミミ族」。鍛冶製鉄に携わっていた…などというもの。そもそも足名椎には「鉄」の匂いが強く、「ミミ族」に関わるのかもしれません。






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