久津方神社


丹後国丹波郡
京都府京丹後市峰山町菅小字大門崎943-6
(駐車は下部写真参照)

■旧社格
村社

■祭神
久津日方命


「鱒留川」が「竹野川」に合流する直前、南岸畔に鎮座する社。市街地の北西部、古来よりの要衝だったようです。
◎創建由緒等は伝わっていないようです。明治二年の「峯山旧記」という書には、「昔は川裾の由 疫病除けの神であった」と記しており、旧社地は「南方 字古川」であったとのこと。その旧社地という所について同書は、
━━「大門先(だいもさき)」の地名も残っているし、神輿をのせたという石もあった。古老の話によると、久次村の真奈井神社(=比沼麻奈爲神社)の例祭と同日の祭りで、真奈井の神與の御旅所であったという。真奈井がもし、苗代境の神所段(じんじょだん)にあったとしても(咋岡神社のことか)、ここまでは約四キロ近い距離となる━━と記しています。
◎現在は「古川」という地名も、「大門先」という地名も南方から比沼麻奈爲神社が鎮座する西方にかけて調べるも見当たりません。「約四キロ近い距離」ということから、現社地とはあまり隔てていないように思います。
◎ご祭神は久津日方命。他では耳にしない神名、天日方奇日方命とは異なるようです。かつては「沓掛明神」と称されていたとのこと。今も一般には「くつかけさん」。久津日方命が元になったのか、沓掛明神が元になったのかは不明。
◎「履掛」について、同書は以下のように記しています。
━━日本三ヵ所の一つで、旅人が足を痛めないよう、この神前の流れで足を洗い、鞋をはきかえ、古わらじを社前に供えて旅の安全を祈ったうえで、再び旅立って行ったともいう。
社の西を大河原といい、峯山藩のお仕置場があったのはここで、西園寺鎮撫総督を出迎えたのは、長岡村境の古川であったというから、この社のわずか東方に当たる。また、参覲交代の藩主の送迎もこの付近であったろう━━
どうやら江戸時代に「沓掛明神」へとご祭神が変わったようです。
ここで「長岡村境の古川」とあります。「長岡」は現在の「菅」の南隣の地。当社旧社地というのはそう遠くはない南方ということが分かります。


車は生垣の背後の広い空きスペースに停め置きました。






*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。