玉作湯神社


出雲国意宇郡
島根県松江市玉湯町玉作508
(9時過ぎ~11時、16時前後~は温泉街宿泊客が大挙参拝に押し寄せるので要注意)
(P有)

■延喜式神名帳
玉作湯神社の比定社
[合祀社 韓國伊太氐神社]同社坐韓國伊太氐神社の比定社
[境外摂社 布吾彌神社] 布吾弥神社の比定社

■旧社格
県社

■祭神
櫛明玉神
大名持神
少彦名神
五十猛神


「宍道湖」に注ぐ「玉湯川」の河口近く、松江市「玉湯町玉作」に鎮座。付近には玉造温泉街があり、「玉」と「湯」に関わる社と言えるかと。社殿は「要害山」中腹に設けられています。
◎創建年代は不詳。「出雲国風土記」に記される「玉作湯社」に比定。その頃には既に創建されていたことが分かります。
【玉作の神】
◎ご祭神の櫛明玉神は「玉」に関わる神。「天岩戸」神話において天照大御神を引き出すために、━━思兼神は思案し、伊斯許理度賣命に作らせた鏡を「五百津眞賢木(いほつまさかき)」の中枝に、玉祖命に作らせた「八尺勾之五百之御須麻流之珠(やさかの勾玉のいほつみすまるの珠)」を上枝に下枝に「白丹寸手・青丹寸手(にきて)」の幣(しで)を垂れさせた━━とあります(以上、記より大意)。
ここに記される「玉祖命」が櫛明玉神のこと。
◎また斎部広成が編纂した「古語拾遺」には、瓊瓊杵命の天孫降臨の際には、随従の「五部神」の一として玉作りの工人を率いて日向に降臨。櫛明玉命は裔らは当地に留まり玉造に従事したとあります。
「延喜式 神祇臨時祭」の条には、「出雲国進むる所の御富み岐玉六十連 毎年十月以前 意宇郡の玉作氏をして造り備えしめ 使を差して進上」とあります。
◎社頭案内には玉作の詳細が記されています。
━━当地は青・赤・白の瑪瑙、水晶等を産し、殊に青瑪瑙は玉造の特産で天下一品と称せられています。玉の琢磨法は原石を石槌で打砕き、その良好の部分を選んで玉磨砥にて玉の形に磨き上げ、さらに硬質の玉砥にて光沢を出したものとされています。又、鉱石を砕いて粉末とし、これをルツボにて溶解しガラスとして練って吹き出して造った硝子玉も玉造部で製作されたものと云われ「工芸志料玉の部」にも出雲国造の献ずる所の玉は真玉(瑪瑙玉)、国司の奉る玉は吹玉(硝子玉)なり、と記され、社宝として現存する上代ガラスの附着せるルツボ片、上代ガラス塊及びその原料の半ば溶解せるもの等からして、上代玉造に於いてもガラス製作が行われたことが明らかです━━
【湯の神】
◎ご祭神の大名持神・少彦名神は「湯」に関わる神。当社では「湯神2柱」とも表記しています。また「玉造温泉」は少彦名神が発見したと伝えています。
◎「出雲國風土記」意宇郡の条に、「忌部神戸 郡家の正西廿一里二百六十歩 國造 神吉詞(=出雲国神賀詞)を奏しに朝廷に参向する時 御沐の忌玉作る 故に忌部という即ち川辺に出湯あり 出湯の在る所 海陸に亘り男女老少 或は道路に絡繹り 或は砋洲に郡集いて市を成し 繽紛燕会 一濯すれば形容端正 再濯すれば万病ことごとく除く 古より今に至るまで験を得ざることなし 故に俗人神湯といえり」とあり、老若男女を問わず庶民にまで親しまれた湯であったことが分かります。
◎当社は江戸時代には「湯姫大明神」或いは「湯舩大明神」とも称されています。現在は境内社として湯姫大明神社が鎮座。いつから女神となったのでしょうか。
◎背後の「要害山」はかつて「湯山」と称されていたとのこと。そしてこの「湯山」に鎮まるのは大己貴命であり、湯山主命として境内に祀られています。
【由布社】
◎「延喜式神名帳」に見える「同社坐韓國伊太氐神社」、「出雲国風土記」に見える「由布社」は同じ社で当社に合祀されています。この社名は同じ意宇郡の揖屋神社、出雲郡の日御碕神社にも見られます。「出雲国式社考」は旧社地を現在の玉作天満宮(未参拝)の鎮座地であるとしています。





「神陵之杜」とする意味は分かりません。




長い石段の参道途中にあります。


「御仮殿建立之御座地」

境内社 湯姫大明神

境内社 金刀比羅神社

「真玉ヶ池」



境内社 玉宮神社(玉祖命)

澤玉神社(猿田彦命)


境内社 素鵞神社・記加羅志神社(素盞嗚尊)






「願い石」




*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。