能義神社
(のきじんじゃ)


出雲国意宇郡
島根県安来市能義町366
(参道は東方より、駐車スペース有り)

■延喜式神名帳
野城神社の比定社
天穂日命神社の論社

■旧社格
県社

■祭神
[配祀] 大己貴命 事代主命
[合祀] 誉田別命 経津主命 国常立命


「中海」に注ぐ「飯梨川」沿い、「安来市能義町(のきちょう)」に鎮座する社。川沿いの平坦地にある丘陵頂に社殿が設けられています。
◎創建由緒等は不明、謎多き社として知られています。
「出雲国風土記」に記される「野城社(のきのやしろ)」の比定社。同書には399もの所載社がありますが、「大神」と尊称されるのは四柱。「熊野大神」「所造天下大神(=大国主命)」「佐太大神」「野城大神」。
うち「野城大神」以外の三柱の大神に対しては、鎮座地として相応しい地として描かれているものの、「野城大神」だけは当社と「駅」が存在したのみの記述。「郡家の正東二十里八十歩の所に…」と記されています。つまり中心地から外れた地方や郊外の拠点とされていたということ。出雲国を代表する四大神の一柱の鎮座地としては甚だ不可解なこと。
◎一説に縄文期よりの古代出雲の大神であり、「出雲の国造りが進み、固有の神として残された」などというものも。或いはここでも「国譲り」があったのでしょうか。
◎現在のご祭神は出雲国造家の始祖である天穂日命。「野城大神」への信仰は衰え、平安時代頃より天穂日命が主祭神となったとされます。現在に至っても、国造家(千家宮司)により頻繁に奉斎が行われているとのこと。或いは国造家には極秘伝とされているのでしょうか。
一説には「野城大神」と天穂日命は同一神であるとの見解もあります。また後裔の野見宿禰を祀る野見社も境内社として鎮座しています。
◎醍醐天皇の頃に「意宇郡」から「能義郡」が分かれたとされます。「島根県大百科事典」には、「出雲国風土記」が成った天平五年(733年)から延長五年(927年)の間に、「出雲国意宇郡から能義郡を分かち二郡となす」とあります。
その能義郡に属する「比田村史」には、野城郡(能義郡)が劃置(画置)された際に「比田」地区が編入されたが、これは「能義の大神様を祀る能義神社を創設しその氏子を確保するための措置」とあるとのこと。
当社創祀は「出雲国風土記」以前に遡るも、創建は醍醐天皇の頃ではないかと考えられます。



参道は東側から。社殿は丘陵の頂に。駐車場は右の方に小さく赤色の車が見える所。



参道途中の物々しい祭祀場。異常な多さで幣が立てられています。



境内はかなり寂れています。



ご本殿はかつてはさらに壮大なものであったようです。

ご本殿は閉ざされたような印象を受けました。

境内社 野美社


若宮神社(若宮之介霊)・塩津神社(塩見命)

鷺神社(稲背脛命)・愛宕神社




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