比婆山久米神社 (上ノ宮、伊邪那美大神御神陵)


出雲国意宇郡
島根県安来市伯太町横屋486
(1時間足らずの登拝が必要)
(麓にP有り)

■延喜式神名帳
久米神社の論社

■祭神
伊弉冊尊
[配祀] 事解之男神 早玉之男神
[合祀] 倉稲玉神 伊邪那岐神



「伊邪那美大神御神陵」伝承地を背後に控え鎮座する社。「安来市伯太町(やすぎしはくたちょう)」の「比婆山」(標高331m)の山頂に鎮座します。麓には比婆山久米神社(比婆山里宮熊野神社)が鎮座しています。
◎創建年代は不詳。「出雲国風土記」に見える「久米社」に比定。また式内社 久米神社の論社に挙げられています。別にもう一社、熊野大社 上宮の境内にかつてあった久米神社(後日記事UPします)が論社として挙げられています。
◎麓の社の正式名称は「熊野神社」。山頂の当社は不明ながら「比婆山久米神社」「久米神社」などと称されています。
その社名について当社由緒は、━━「久米」の語源は「コムル(隠し奉る)」の意で伊邪那美命の霊をお祀りしたと伝えられています━━と示しています。また「出雲国風土記」記載の「久米社」は「クマノヤシロ」と訓むとのこと。「久米」を「クマ」と訓んでいたようです。
◎「比婆山」は三つの峰からなります。「社祀峰」「御陵峰」「妙見峰」の三つ。かつては当社が「社祀峰」にあり、「御陵峰」は文字通り伊邪那美神の御陵、「妙見峰」には妙見宮が鎮座し伊邪那岐命を祀っていたようです(現在は焼失)。
「御陵峰」は禁足地。つまりは「社祀峰」にあった拝殿から御陵を拝していた、そして「妙見峰」を夫(伊邪那岐神)と見立ててこちらも拝していたということになるのかと思われます。
これらは「出雲稽古知今図説」という絵図には詳細に残されています(アメンバー記事にてUPします、詳細は本文最下部にて)。
◎「社祀峰」と「御陵峰」はほとんど繋がったような状態、二峰の間には大きな窪みがあるように感じる程度。「社祀峰」の頂は平坦になっています。現在は旧社地跡として磐座等が残されています(下部に写真有り)。
◎「伊邪那美大神御神陵」の様子はWikiから引用すると、━━社殿の後方に、高さ一丈五尺、幅六間四方の封土があって、内廟は石瑞垣を環らし、外廟は木柵が設けてある。柵内は松樹森々として繁茂している━━と。
どうやら近年かなりの手入れがなされたようで、「松樹森々として繁茂」というのはすべて刈り取られ、封土が剥き出しになっています。近年まで「比婆山」そのものが禁足地であったもよう。

*「出雲稽古知今図説」はアメンバー記事にてUPしています。→こちらの記事 

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*周辺の磐座や池、柱状節理などは後ほど別記事にてUPします。


「妙見峰」に現在は登拝道はありません。

「清水掻街道」は、現在ほとんど使われていません。最も楽に登る方法は「峠之内街道」から途中まで車で登る方法。「峠之内街道」の鳥居マーク(現在は倒壊)から「現在地」(里宮駐車場)までは1km余り。

登拝口はこちらではなく、向かって左手に少し下ります。

登拝は40分~1時間程度。喘息持ちの私で1時間余り。

大鳥居は「社祀峰」の旧社地前に建ちます。この一帯に旧社地跡有り。写真は下部にて。

奥の方に奥宮への案内板が見えます。

なだらかな傾斜を下りまた登ると奥宮へ。標高差は5~10m、わずか100mほど。峰は異なりますが、そのような感覚は一切無し。



以下「伊邪那美大神御神陵」を。

ご本殿の真裏にあります。つまり御陵の真前に建てられたということに。




頂には幣らしきものが立てられています。

以下ご本殿周辺の名も無き岩を。




「玉抱石」と同様に窪みのある手水鉢。

以下、「社祀峰」の旧社地の史跡を。








*誤字・脱字・誤記等無きよう努めて参りますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。