依遅神社
(いちじんじゃ・いぢじんじゃ・えちのじんじゃ)


丹後国竹野郡
京都府京丹後市丹後町遠下小字風穴1219
(アクセス、駐車等は下部写真参照)

■延喜式神名帳
依遅神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神
豊受比売神


京丹後市丹後町「平(へい)」と「上野」の境界に注ぐ「宇川」の中流域、その支流の小川沿いに鎮座する社。鎮座地は「遠下(おんげ)小字風穴」。300mほど下の「宇川」沿いに、20軒ほどの小さな集落が見られます。
◎「式内社 依遅神社」の比定社。かつては西方の「依遅ヶ尾山」(標高540m)の山頂に鎮座していたとのこと。旧社地跡があり、石組と小祠があるようです(未参拝)。中世に氏子の転居に伴い遷座されたと伝わります。ただし「丹後国式内神社取調帳」は高山であるという理由から、式内比定を否定しています。
◎創建由緒に関しては興味深いものが伝わっています。「丹後舊事記」には、━━此の所昔 霊蛇有て竹野の宮に通ひ神女を取る久敷 金丸といふ人退治すと伝ふ 風土記に曰く 当社は神代の鎮座に而して神記不詳 竹野宮斎女 交接情発時 此山頭 黒雲起三頭五尾大蛇出現 斎女向瞋本土━━とあります。
当地に大蛇が棲んでいて竹野神社の斎女、つまり竹野媛と結ばれたが、金丸という者が退治したと。文末の「向瞋本土」とは仏教用語の浄土へ向かったということかと思います。
◎ご祭神は豊受比売神。神名帳では一座であり妥当なところでしょうか。ところが「丹後舊事記」は「伊勢両宮」、つまり天照皇大神と豊受大神としています。
◎「丹後舊事記」には別の箇所において以下のように記しています。
━━依遅尾 竹野郡尾下村山上に神社あり 一郡の高山依遅神社の事は延喜式の竝小社なり 神傳竹野の神社の所に記す 今世本宮を上野の村に移して浦島五社を合せて六社大明神と祭る━━
六社大明神とは「宇川」河口に鎮座する六神社(京丹後市丹後町上野)のこと。この内容は他の文献等には一切触れられておらず、真偽のほどは不明。


たまたま工事中になっている場所があり、少し入って覗いてみると当社を発見することができました。車はこちらよりもさらに200mほど上に停め置きました。



境内から下の集落へ通じる小路と小川。




ご本殿はやはり一座のようです。

明治に無格社の八柱神社と三柱神社を合祀したとあり、それが両脇の二社でしょうか。


境内から鳥居方面を。