菅原神社 (広陵町三吉)


大和国廣瀬郡
奈良県北葛城郡広陵町三吉634
(境内に駐車可、アクセス道は狭いので要注意)

■旧社格
村社

■祭神
菅原道真


南北に流れる「高田川」の西岸に広がる広陵町「三吉(みつよし)」、その古い集落内の微高地丘陵上に鎮座する社。
◎創建年代は伝わっていないようです。「和州御領郷鑑」という書(享保九年、1724年)には、「赤部村」の頁に天神社と大物忌大明神社が記されるとのこと。その天神社が当社。
◎「赤部村」は明治に「大垣内村」「斎音寺村」とともに合併し「三吉村」に。同和地区でもあり好字が用いられたのでしょうか。
◎「当社ともう一社の大物忌大明神社については不明。社名から廣瀬大社のように思われますが、鎮座地は5km余り北方の「川合村」。一説にかつて「広瀬村」に鎮座していたともされますが、そちらも2km余り北東と離れた地。当村内に分祀された社が存在したのでしょうか、現在は後継社らしきものも見当たりません。
旧社格では当社が村社に列格。その頃(明治四年)には消滅していたのかもしれません。
◎「神社調査書」(大正四年)には、かつて東方一丁(109m)に鎮座していたとのこと。遷座理由は示されていません。
◎当記事に頂いたコメントには、当時の様子を克明に記すものがあり引用します。
当地は天武天皇夫人氷上娘(氷上夫人)の「高津笠墓」とみなされていたとのこと。「大和國古墳取調書」見取図(絵図)には、「甲」区分として、「髙三間 根廻五十間 村社反別壱反八畝八歩 民有地」と記されます。そして本文(取調書)には、
━━大字三吉 字「フキヤ」又髙塚又髙司 塚上平坥ニシ村社其形二段ニシテノアル正中ナラン 村人レバ往古四囲ノアリシモ 近年埋メテ人家設立セリト 其他所傳ナシト 髙司ヨリフレバ 氷上夫人御墓ニハアラサル乎 大和志ニハ髙津笠墓セリ 其文字異ナリト訓相通スレハ差違フベカラズラバ 天武御墓ナリ …(中略)… 細査スルモノト━━と記されているようです。墓所としての伝承が失われないよう、村社(天神社)を遷してきたのではないかという見方がされています。


鳥居から向かって右横より境内に上がって行けます。




拝殿の向かって左端よりご本殿への潜り戸があり、解放されています。

こちらはご本殿。二段墳丘の上段跡のようです。