維日谷稚宮・ 藤原永手公之墓等 (杜本神社境内)

(いびやわかみや)


河内国安宿郡
大阪府羽曳野市駒ヶ谷64 (杜本神社境内)
(P有、杜本神社境内西側)

■祭神
[維日谷稚宮] 反正天皇・伊波別命(イワワケノミコト)・遠登売命
[南木神社] 橘朝臣楠正成公



式内名神大社 杜本神社の境内には北端に維日谷稚宮・ 藤原永手公之墓などがあります。

【維日谷稚宮】
仁徳天皇が崩御し皇位継承を巡り争乱があった時に、反正天皇が石上神宮へ向かうも道に迷う。出会った少女(遠登売命)の忠言で一夜行在し禊を行ったのが当社旧跡地とのこと。元々は南三丁ほどのところに鎮座していたとか。
━━あふさかに あふやをとめを みとえば たゞにはのらじ たぎまじをのる━━と天皇は歌ったようです。「逢坂(=大坂)で出会った遠登売命に道を問えば、直ぐには告らずに當麻路を告った」となるのでしょうか。「當麻路(たぎまじ)」は、當麻(たいま)へ抜ける現在の竹ノ内街道。
杜本神社の創建に携わったとされる伊波別命がこちらに祀られています。
【藤原永手公之墓】
藤原永手とは、藤原四兄弟のうちの北家の祖 房前の子。四兄弟が相次ぎ没した後、事実上北家の長となり正一位、左大臣にまで昇進(没後すぐに贈太政大臣)。孝謙天皇・淳仁天皇・称徳天皇の元で重宝され仕えていました。宝亀二年(771年)に薨去。
杜本神社は物部氏系の伊波別命が創建に携わったとされますが、既にこの頃には藤原氏系が奉斎する社となっていたようです。
【南木神社・大楠公首塚】
南木神社は楠木正成公を祀る社。嫡男の正行公が姿を刻みこの地に祀ったものと伝わっているようです。
大楠公首塚は正成の戦死後、河内に送られてきた首を密かにこの地に隠したというもの。正成公は特に河内地方では絶大な人気を誇り各地に伝承有り。真偽のほどは分かりかねます。


境内最奥へ。

向かって左手に藤原永手之墓。鳥居の先は維日谷稚宮。その右隣(向かって左隣)に南木神社。さらに右隣に大楠公首塚。

こちらが維日谷稚宮。


向かって左が南木神社。







「韴霊(ふつたま)」と刻まれているのでしょうか。