☆ 剣池 (橿原市石川町、附 紀皇女 万葉歌碑)



大和国高市郡
奈良県橿原市石川町
(P無し、大歳神社前に停め置き足早に)



記紀、万葉歌に度々登場する「剣池」。橿原市南部の石川町内、現在は「石川池」と呼ばれています。

藤原京の十二条大路と西二坊大路が交差する辺り。かつては蓮の多い美しい池として愛でられていたことと思います。

記紀に記されるのは以下の通り。
◎紀 … 第8代孝元天皇を「劔池嶋上陵」に葬った(記事改定作業中、リンクには飛びません)。
◎記 … 第8代孝元天皇が57歳で崩御、御陵は「劔池の中崗の上」に有り。

◎紀 … 応神天皇十一年、「劔池・軽池・鹿垣池・厩坂池」を造った。
◎記 … 応神天皇の御代、「劔池」を造った。

◎紀 … 第34代舒明天皇六年、「劔池」に一茎二花の瑞(良い兆し)の蓮が生えた。

◎紀 … 第35代皇極天皇三年、劔池の蓮の中に一茎二萼(はなぶさ、花房)があった。豊浦大臣(蘇我蝦夷)は「蘇我臣が栄える瑞だ」とし、大法興寺の仏に献上した。

◎天武天皇 紀皇女(キノヒメミコ) 万葉歌 巻3 - 390
━━軽の池の 浦廻(み)行き廻(み)る 鴨すらに 玉藻のうへに 独り宿(ね)なくに━━
(軽の池の浦を泳ぎまわる鴨のようなものでさえ、藻の上で妻と一緒に寝て独りでは寝ないのに、私はどうしたことでしょう。私は寂しく独り寝をしています) 訳/橿原市観光制作課

◎万葉歌 巻13 - 3289 作者不詳
━━御佩(みはかし)を 剣の池の 蓮葉(はちすば)に 渟(たま)れる水の行方無み 我がする時に 逢ふべしと 逢ひたる君を な寝そと 母聞こせども 我が心 清隅の池の 池の底 我は忘れじ ただに逢ふまでに━━
(剣池の蓮の葉にたまった水の行方が分からないように、私もどうなるか分からないでいる時に、「逢うべきである」と神のお告げがあったのであなたに逢った。そのあなたとは「寝てはいけない」と母は言うけれど、私の心は清隅の池の底にじっとしているように、あなたのことは忘れまい。直にあなたに逢うまでは…) 訳/天地悠久

第15代応神天皇の御代に「剣池」が造られたとあるのに、第8代孝元天皇の御陵が「剣池」に葬られたと…。

既に存在していた自然池「剣池」を、応神天皇の御代に拡張して溜め池としたということでしょうか。孝元天皇は欠史八代の天皇とも言われますし、実在したとしてもこの場所とは限らず治定違いの可能性も…。

また紀皇女の万葉歌は、「軽池」と詠んでいるのに「剣池」に万葉歌が立てられています。「軽」は南西隣の辺りと推定されますが、紀の応神天皇十一年に「劔池・軽池…」を造ったと記されているにもかかわらず…。

蘇我蝦夷が我が一族の繁栄の瑞祥だ!などと言っていますが…翌年に滅びます。


島状の中に孝元天皇陵が築かれています。




孝元天皇陵側の「剣池」。