八幡神社 (美濃市保木脇下河和)


美濃国牟義郡
岐阜県美濃市保木脇下下河和入会3番
(駐車スペース有り)

■旧社格
村社

■祭神
応神天皇


「長良川」上流、洲原神社手前の360度近くに大きく湾曲する畔に鎮座する社。深い山合いの谷地「保木脇(ほきわき)」「下河和(しもこうわ)」両集落の入会地、山裾に社殿が設けられています。
◎創祀は元禄年間(1678~1704年)としている岐阜県神社庁。
━━兼六年間下河和に飢饉あり。土地の一部を保木脇に売る。保木脇之を横持と名付けて鎮守の神として八幡宮を祀る。氏子の為鎮座の地と共に山林四十町歩を保木脇・下河和の入会地とする。両集落の円満なる時に於いても一神殿に於いて両集落各々別に祭事を行ふを常とする。何時の頃か識者両集落の将来に思いを致し、神社に対しての争いを防ぐため、極秘裏にご神体を二体とす。明治に至り、制度の定めにより村社となり、保木脇部落は氏子となり、下河和部落は崇敬者となるも、事実は従前と変はりなし━━
◎どうやら両村の仲はよろしくはなかったようで、これはこの時代には一般的な状態であったかと思われます。「下河和」地区に起こった飢饉で土地を「保木脇」へ売ったことにより、上下関係ができたようです。その売られた地に八幡神を勧請し創建されたのが当社であり、両村の入会地とすることで解決したようです。ところが方や氏子で、方や崇敬者などと平等ではなく、争いもあったというように記されています。
◎ご本殿背後には巨大な露出岩盤が見られます。全容は把握しかねるものの、可視部分のみで高さ10m以上はあろうかという巨大なもの。古来からの信仰対象であったものと思われます。勧請前より山神あるいは岩神などとして祀られていたのではないかと。


焦点を間違えピンボケ写真に。駐車スペースは向かって左側。冒頭写真にもあるように、鳥居には真っ直ぐな長い枝が斜め上に延びています。




以下、露出岩盤を。






水神が小さく祀られていました。