青井神社 (奈良市横井町)


大和国添上郡
奈良市横井町2-299
(P無し、近隣停め置き不可)

■祭神
青井明神


奈良市南東部郊外、JR帯解駅より北方の古い集落「北永井町」内に鎮座する社。民家の敷地内に小さく鎮まっています。
◎かつては「疱瘡神社」と称されていたようです。享和三年(1803年)に、青井光忠が吉田家から神職許諾状を得て代々青家が世襲しているとのこと。詳細は不明、社名はこれを由来とするものかと。文久二年(1862年)の石灯籠に「疱瘡神社」と刻まれているようです。
◎「子供のための大和の伝説」(仲川明著)には以下の民話が記されています。
━━奈良から桜井に通じる上街道にそって、奈良市横井町の登り坂という所に、青井明神という小さな神社があります。
今は奈良から天理へ大きな道がその東方に新しくできているので、この上街道はさびれていますが、むかしはおもな街道で、人々はみなこの道を歩いて奈良から桜井、初瀬の方へと行ったものです。
この青井明神は、むかしはかさ神とも、ほうそう神ともいったが、一ぱんには、くさ神さんで通っていました。そして、くさができるとなおしてくださる神さんと信じられていたのです。今でいうと皮膚病といいますが、むかしはくさ、またはかさといったので、くさ神または、かさ神といいました。この神さんをまつってある地名をかさ神といって、奈良に45ヶ所ほどあります。たいていは笠の形をした石などを、むかしまつっていた所です。
むかし、小野の小町という女の歌よみが、京都の都の宮中の歌の会に出ていましたが、ある人のざん言(悪口)によって宮中を追われ、全国のあちらこちらを歩きまわっていました。そのうちに皮膚病にかかって困っていいました。ところが、ある夜、夢に翁があらわれ、「奈良から一里(約4キロ)南にいったところに、ホウソウ神をまつる神社がある。そこへまいり一心におがむがよい」と告げました。小町はそこへまいって、二十一日間、水をかぶって祈願しますと、満願の日に、くさはすかっりなおりました。小町は「はるさめは 今一ときに 晴れゆきて ここにぬぎおく おのが身のかさ」という歌を残して、伊勢の方へいってしまったということです。かさと笠をもじった歌ですが、今もこの神社はくさ神さまとして、絵馬などをあげてお参りする人があります━━
◎小町が歌ったというこの歌は、資料が見当たらず不明。「春雨の さはにふるごと…」は有名ですが。小町の伝承は全国各地に存在しますが、真相は分かっていません。出羽国で生まれ、出羽国で晩年を迎えたという有力な説があるものの、これもまた確証は無し。そもそも小野氏は大和国添上郡を本貫地とした和珥氏から分派した氏族。氏神であった和爾坐赤阪比古神社からも、そう遠くはない距離ですが。


帯解寺などがあるJR桜井線(万葉まほろば線)に沿って南北に走る道(「上街道」のこと)沿い。JR帯解駅からは北へ1km足らず。

このシャッターの間の奥に鎮座します。参道は向かって左側のシャッターの裏側の民家の敷地内。参拝には配慮が必要。