大津神社 (羽曳野市高鷲)


河内国丹比郡
大阪府羽曳野市高鷲8-1-2
(境内に駐車可、北側より進入)

■延喜式神名帳
大津神社 靫鍬 の比定社

■旧社格
村社

■祭神
素戔嗚尊
奇稻田姫命
天日鷲命
[配祀] 大山咋命 菅原道真公


近鉄南大阪線「高鷲駅」の南すぐ、密集する市街地内に鎮座する社。世界遺産「古市古墳群」の中に位置しています。
◎当地は北を流れる「大和川」からは1.5kmほど離れた地。その支流の「東除川」の東方。かつては当社近くを「古市大溝」という人工水路が流れていたとされます。
「古市大溝」とは「古市古墳群」内を縫うようにして設けられた水路。全長12kmが確認され「東除川」に注ぐ流路であったようです。掘削時期は不明ながら6世紀後半に物資移送手段として設けられた、或いは7世紀に灌漑用水路として設けられたなどと考えられています。
◎この「古市大溝」を貢物の輸送として使っていたと思われるのが渡来系氏族、船氏・葛井(ふじい)氏・津氏の三氏。そのうち、津氏が卜して(占って)当地を開拓、祖神を祀った社と考えられています。
◎この三氏はいずれも第14代百済王、貴須王(クヰスオウ)の子孫とされます。近仇首王(キンキュウシュオウ)とも。
続紀には天平宝字二年(758年)の条に、船・葛井・津は元々同じ祖先であると記されます。さらに続紀には応神天皇の御宇、貴須王の孫、辰孫王が使者とともに入朝。その曾孫である牛淀君に三人の男子が誕生し、この三人がそれぞれの職能に分かれて船氏・葛井氏・津氏が誕生したと記されています。
◎津氏はその氏族名から、難波津の税を職掌としていたと見られます。船氏と葛井氏が連姓を賜ったのに対して、津氏は史。後に宿禰姓や朝臣姓を授かっています(菅野朝臣)。
「新撰姓氏録」には、「右京 諸藩 百済 津宿禰 菅野朝臣同祖 塩君之子麻侶君之後也」と記されていとます。
◎その津氏が当地を「大宮山」と称して創建。かつては「丹下の郷の大宮」と称されていたとか。現在は至って平地、当時は丘陵地だったのでしょうか。
◎原初の祭神は不明。神名帳は三座。いろいろな説が挙げられていますが、「神祇志料」は牛淀君の子、味沙(葛井氏)・辰爾(船氏)・麻呂(麻侶、津氏)の三座としています。これが妥当なところかと思われますが。
◎「新撰姓氏録」に「右京」とあるように、都へ拠点を移したと見られます。中世には九ヶ村の氏神となり、さらに牛頭天王を祀る社へと変遷したとのこと。明治の廃仏毀釈により仏教色が排除され、素戔嗚尊と奇稻田姫命を祀ることになったと考えます。天日鷲命は不明。


東面する参道。駐車場は北側から。






以下、境内社を。




社殿の写真を消失してしまったようです。