屯倉神社 (松原市三宅中)


河内国丹比郡
大阪府松原市三宅中4-1-8
(南西角にP有り、一の鳥居は北西角)

■旧社格
村社

■祭神
菅原道真
須佐之男命 品陀別命


「大和川」南岸、密集する市街地内、松原市北部の「三宅」に鎮座する社。地名は当社由来と思われます。
◎「屯倉(みやけ)」とは5世紀頃からのヤマト王権の直轄領のこと。当地には「依網屯倉(よさみみやけ)」が設置されていたとのこと。
「依網屯倉」は摂津国住吉郡大羅(よさみ)郷(現在の大阪市住吉区我孫子)から河内国丹比郡依網(よさみ)郷、三宅郷に渡る広範囲に設置されていたものとみられます。
当地は「依網屯倉」の中心地であった可能性も。また域内の摂津国住吉郡には式内名神大社 大依羅神社が鎮座、「依網屯倉」を管理したと思われる依羅氏の拠点であったとみられます。

◎創建は天慶五年(942年)と伝わります。河内国丹北郡依網三宅郷に菅公を祀ったのが直接的な創建であるとみられています。
これは朱雀天皇の御宇、釈道賢なる人物が参詣した際に十一面観世音のお告げがあり、村人と協力し創建に至ったというもの。
◎当地には元々土師氏(ハジノウジ)の祖神である天穂日命を祀る社が鎮座していたらしく、それが当社の前身。菅公はその土師氏の後裔。
昌泰四年(901年)左大臣藤原時平の讒言により大宰府へ左遷されます。言い伝えによると、大宰府へ赴く際に叔母の覚寿尼がいる道明寺天満宮にて別れを告げたと。また「三宅天満宮梅松院縁起」という書には、遠祖の天穂日命が祀られる当社に立ち寄り無実の罪を晴らすことを誓ったとされています。
◎ご本殿には道真像が安置されます。総高99.7cm、総幅128.3cm、膝張78cm。菅公が大宰府にて自らを鏡に映して彫り、縁故ある当地に送ったとのこと。しかしながら胴体は近世の作であるようです。
◎境内社として式内比定社 酒屋神社が鎮座します。こちらは後ほど別記事にてUPします。


一の鳥居

こちらは駐車場側の鳥居。






以下、境内社を少しだけ。