◆ 「真の持統女帝」顕彰
~反骨と苦悩の生涯~ (1)
前回の記事(序)から既に
1ヶ月以上空いていますが…
なんとか記事を上げねば。
まずは持統天皇のプロフィールを上げることから始めていきます。
自身の生涯をかけて取り組みたいテーマなので、慌てずぼちぼちとやっていきましょうか。
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第41代持統天皇
■生年
645(大化元年)~703年(大宝二年)
■在位
690~697年
■先代次代
[先代] 天武天皇(夫)
[次代] 文武天皇(孫)
■史上3代目の女性天皇
■和風諡号
大倭根子天之廣野日女尊
(オオヤマトネコアメノヒロノヒメノミコト)
高天原廣野姫天皇
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まずはここで一旦区切ります。
早くもさらっとは流せない留意点がいくつか存在します。
◎生まれたのは大化元年。近頃は「大化の改新」などとは言わず「乙巳の変」などと言うようですが。
この年に生まれているのは何かの因縁でしょうか。もちろん赤ちゃん本人に自覚などありませんが、後々に持統天皇自身もこの年に生まれたという因縁を感じていたと思います。
◎即位は45歳の時と晩年に。夫であった天武天皇の崩御後、紆余曲折あり即位しています。3年間空位となっていました。経緯については後々触れていきます。
◎3代目の女性天皇。過去2代の皇極天皇(斉明天皇)、推古天皇の際は摂政など補佐役が存在しました。ところが持統天皇はワンマン(ワンウーマン?)天皇であり、自身主導で強力に政治を行っています。
◎「和風諡号」とは死後に贈られた名。「漢風諡号」が天皇名、つまり持統天皇。これら諡号が撰進されたのは奈良時代の淡海三船によるもの。
◎「和風諡号」は2つ存在します。
*「大倭根子天之廣野日女尊」
「大」は接頭辞、「倭」は日本国のこと、「根子」は尊称。日本を広く治めた天皇といったところかと。「根子」は多くの天皇の諡号に用いられています。またこの時代はとかく「天」と付されています。
*「高天原廣野姫天皇」
「高天原」とされていることが大変に重要かと思うのです。「高天原」という概念が創出されたのは記紀編纂時においてであると考えます。記紀編纂を勅したのは夫の天武天皇。持統天皇の意向が大いに反映され、完成したのは崩御後。
和風諡号が贈られた奈良時代に、「高天原」と持統天皇は結び付くものだと考えられていたことが分かります。
「高天原」と言えばもちろんアマテラスですが、この時代にアマテラスの如く世を広く治めた天皇と考えられていたということに。ひいてはアマテラスの生まれ変わりくらいに思われていたのではないかとも…。
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今回は"慌てず"ここまでにしておきます。
「和風諡号」に「高天原」とあること、それを示せただけで十分かと思います。
今後は御陵を月一で奉拝していく予定。
その時に思い巡ることなども綴っていけたらと思います。