板茂神社
(いたもじんじゃ)


河内国錦部郡
大阪府富田林市西板持町8-7-39
(P無し、近隣停め置き不可)

■旧社格
村社

■祭神
天御中主神

瀬織津媛神


「石川」東岸、住宅密集地の中に鎮座する社。社号標には「式内 板茂神社」とありますが、式内社ではありません。
◎創建年代は不詳。当社は渡来系氏族、板茂連が奉斎した社と考えられます。
「新撰姓氏録」には、「河内国 諸藩 漢 板茂連 伊吉連同祖 楊雍之後也」とある氏族。伊吉連とは「出自長安人劉家楊雍也」と。伊吉連(壱岐氏)は遣唐使の伊吉博徳や壬申の乱の伊伎韓国などが知られ、遣唐使の航路の重要な拠点として壱岐で仕えたかと思われます。板茂連も伊吉連も、周の第11代王である宣王の末子尚父の子孫である劉家の楊雍の後裔。
養老三年(709年)には板持史内麻呂が連姓を賜っています。
◎「万葉集」に当時、壱岐守であった板氏安麻呂の歌があります。巻5-831の「梅花の歌三十二首」の一首━━春なれば うべも咲きたる 梅の花 君を思ふと 夜寐も寝なくに━━
これは天平二年(730年)に大宰府近くの大伴旅人邸宅で開かれた宴。
◎天平七年(735年)には、続紀には四人の殺人が起き、一族が訴訟を起こすも板持連安麿ら六人がこれを受理しなかったという事件が記述されています。これは大目に見られたようです。
◎当社は明治四十年に建水分神社に合祀され、戦後に復社しています。ご祭神はそちらとまったく同じもの。社号標に式内社とあるのはあたかも式内社 建水分神社が遷座されたが如くに。
◎大阪府神道青年会による「大阪府神社名鑑」には素盞鳴命・大己貴命・応神天皇・安閑天皇とあります。こちらが合祀前のご祭神であろうかと。しかしながら本来のご祭神は板茂連の祖神が祀られる社であったかと思います。
◎なお現在の「西板持町」はかつての「錦部郡板持村」、「東板持町」は「石川郡東板持村」だったようです。




ご本殿への扉が開かれていました。



境内社 春駒大明神


みちみちに詰められた丸石。収まりきらずに祠の外にも溢れています。当社の歴史を感じさせます。