☆ 推古天皇 豐浦宮趾



大和国高市郡
奈良県高市郡明日香村豊浦687
(P無し、「甘樫丘」有料Pや「あすか夢の楽市(明日香村埋蔵文化財展示室を併設)」から徒歩10分足らず)
(民家の敷地内であるため要配慮)



第33代推古天皇の「豊浦宮」の推定地の一つ。
飛鳥時代はこの宮の造営によって始まったとも言われています。

ここで即位(592年)した後、即位十一年(603年)に「小墾田宮」(後ほど記事UPします)に遷宮しています。

当地は母方の祖父であった蘇我稲目の「向原の家(むくはらのいえ)」のすぐ近く。

欽明天皇の御宇、仏教受容の可否を群臣に問い、ひとまず仏像を安置し祀るすることになったのが「向原の家」。結局仏像は物部尾輿により「難波池」に棄てられますが。

その跡地に向原寺が建てられています。「豊浦宮」の最有力候補地はそちらであり、発掘調査の結果、柱跡などが確認されています。

当地はその南東50mほどの場所。域内であったのかもしれません。


写真中央の松の木がある所。