☆ 阿保親王住居跡 (阿保神社境内)



河内国丹比郡
大阪府松原市阿保5-4-19 (阿保神社境内)
(P無し、近隣停め置き不可)



第51代平城天皇の第一皇子 阿保親王の住居跡とされる地。その跡地に建てられたのが阿保神社(祭神は菅原道真公)。

創建年代は不明ながら、天満宮が各地に建てられた頃であろうとのこと。親王の住居跡であった時代からはそう離れていないようです。

邸宅跡は千坪にも及んだとのこと。子孫が永く居住していたと伝わります。

第一皇子であり通常なら皇太子となるはずが、平城天皇の父 桓武天皇の意向で、平城天皇の同母弟である神野親王が皇太弟に。第52代嵯峨天皇として即位しています。

そして嵯峨天皇に譲位した平城上皇、阿保親王、高岳親王(同母弟)とともに「薬子の変」(平城太上天皇の変)にて失脚。阿保親王は太宰権帥(だざいごんのそち)へ左遷されました。

当地に住居を設けたのは入京が解かれてからのこと。

Wikiには、「性格は謙譲で控え目であった。文武の才を兼ね備えており、腕力が強い一方で、絃歌(弦楽器を演奏しながら歌うこと)に優れていた」と。

当地は水利の便が悪く干害地であったため、邸内の「親王池」を灌漑設備を自ら整え農民に開放したなどと伝わっています。



境内社、右殿(向かって左殿)が阿保神親王社。