鞆淵八幡神社
(ともぶちはちまんじんじゃ)


紀伊国那賀郡
和歌山県紀の川市中鞆渕58
(P有、但し狭小箇所があり運転に自信の無い方は困難、他に停め置きできそうな所は無し)

■旧社格
県社

■祭神
応神天皇
仲哀天皇
姫大神


「紀ノ川」の支流、「貴志川」のそのまた支流である「真国川」の上流沿いに鎮座する社。
◎深い山中の「中鞆渕(なかともぶち)」集落内。「鞆渕応神山」の南麓、標高は300m余り。その北側には標高746mの「飯盛山」が聳えます。
明治期に和歌山県内計11社の県社に列格し、相応の由緒を抱えています。
◎創建年代は不詳ながら平安時代と考えられています。武士の台頭により山城国の石清水八幡宮から、全国に守護神として勧請されましたが、当社もその一。
寛和五年(1008年)には石清水八幡宮の荘園として既に「鞆淵薗」が成立しています。この頃までに当社創建がなされたと思われます。
◎安貞二年(1228年)に石清水八幡宮より御輿が送られ、これが国宝指定に。
これは鶴千代姫が第86代後堀河天皇の寵愛を受け局となっていたが、天皇の計らいにより帰郷。この時に乗って来たのがこの御輿であると伝わります。爾来、この時の仕様のものが製作・使用されているとのこと。現存するのは鶴千代姫が乗って来たもののようです。正式名は「沃懸地螺鈿金銅装御輿」。奉送目録が附されています。またご本殿などが重要文化財に指定されています。


駐車場が設けられていますが…

ここが一番の難所。





ご本殿の両脇には左殿(向かって右殿)に若宮社(仁徳天皇)、右殿(向かって左殿)に高良社(武内宿禰)。



碑文は草書体で判読できず。

境内には巨樹が多く、「上の木」と「中の木」は判別できません。またこの三体以上に大きな杉も存在します。

こちらが「下の木」と思われます。


こちらは「杉 三本組」には含まれていないようです。

南天の実が美しく付いていました。