◆平安の刀工 三条小鍛冶宗近



伝説の刀工と言われる三条小鍛冶宗近(サンジョウコカジムネチカ)。


これまで紹介した神社に関わる内容であり、
そして40数年ぶりに「三条小鍛冶宗近 本店」さんの前を通ったので、ちょっと記事にしてみます。



「小鍛冶」という謡曲には、一条天皇の宝刀「小狐丸」を鍛えたと取り上げられます。

一条天皇の即位は寛和二年(986年)、崩御は寛弘八年(1011年)。
したがって謡曲の内容が史実であるとするなら、平安時代10世紀末~11世紀初頭の人物。


【国宝】
*「太刀銘三條(名物三日月宗近)」 

【重要文化財】
*「太刀銘三條」 … 南宮大社所蔵
*「太刀銘宗● 伝宗近」 … 若狭彦神社所蔵
その他、歴史上大変に重要な太刀等多数有り



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謡曲「小鍛冶」は以下の通りとされます。

時の帝、一条天皇から守り刀を作るよう命ぜられた橘道成は、京の名工として知られる三条宗近に作刀を依頼した。
しかし、宗近は満足のいく刀を打てず困り果て、氏神である稲荷明神に詣でて祈願しようとした道中に童子と遭遇し、童子は「安心してください。私が相槌を打ちましょう」と言うと消え去ってしまった。宗近は不思議に思いながらも作刀の準備を始めると童子に化けていた稲荷明神が現れて、宗近と共に太刀を作った。完成した太刀を見ると素晴らしい出来合いであったため、宗近は「小狐丸」と名付けた(Wikiより)。

ま…あくまでも「物語」ですので。


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この名刀「小狐丸」は藤原氏嫡流の「五摂家」の九条家所蔵から鷹司家に渡り、後に逸失。

現在は石切劔箭神社が所蔵とされています。春と秋の大祭では一般公開されています。


2015年か2016年辺りかな?
一度実物を見ているのですが…

その時は社家である木積家の伝世鏡が一斉展示されていて…鏡のあまりの衝撃に刀の方は…。



この「小狐丸」という刀が
大和国添下郡鎮座の孫太郎稲荷神社に関わります。


孫太郎稲荷神社は最初、下野国にて創建。

その後衰微するも再興。
後裔の足利孫太郎あるいは佐野孫太郎義綱が再興させたために「孫太郎稲荷社」と改称。

そして佐野氏が播磨国に移住し分霊勧請。
この時に「孫太郎稲荷」が飢饉に苦しむ民のため姫路城の米蔵を破ったことが原因で、追い出されることに。この時に仲立ちをしたのが刀工 三条小鍛冶宗近。

謡曲「小鍛冶」と合わせると、
お互いに助け合ったという美談になっています。



そもそも三条小鍛冶宗近は京の都に在住。
後裔が下野国や播磨国へ移住したようです。

また興福寺の武装した僧兵から需要があったため、大和国添下郡「尼ヶ辻」に移住しました。そして建てられたのが孫太郎稲荷神社


さらに江戸時代には「若草山」に移住。これが「三条小鍛冶宗近 本店」さん。

平安時代に生きた宗近の末裔たちが今もなお鍛冶を行い、販売を営むお店。

現在は刀よりも包丁などでしょうが。
快く外観撮影の許可を下さいました。