☆ 稗田・若槻遺跡 (附 稗田環濠集落)



大和国添上郡
奈良県大和郡山市稗田町・若槻町
(賣太神社境内に案内有り)



大和郡山市稗田町から南東隣の若槻町にかけての1km余り四方の遺跡。縄文時代から平安時代にかけての複合遺跡。また中世以降は「稗田」「若槻」ともに環濠集落となっていました。

当地は大和盆地北部を南北に流れる「佐保川」に「地蔵院川」などが合流する、その東岸の地。低地がどこまでも続く穀倉地帯。

◎縄文時代のものは河川や河川の延長など、東接する「美濃庄遺跡」では、晩期の凸文土器が出土します。

◎弥生時代のものは中期の土坑が発見。周辺の遺跡からは、前期から晩期にかけての集落跡や、方形周溝墓も確認されています。

◎古墳時代は後期の水田跡が確認。

◎飛鳥時代の遺構は発見されていないようですが、壬申の乱の際に「稗田」で援軍が集結した旨の記述が紀に見えます。
また当時既に利用されていた古代の幹線道路、「下ツ道」に面したのが「稗田」。

◎平城京に遷都された奈良時代には、「下ツ道」が「朱雀大路」となり、羅城門が設けられました。「稗田」は羅城門から真南に1km余りの地。

そして案内板を撮影した下部写真の祭祀用具が出土したのです。

「下ツ道」が平城京造営に合わせ整備され、幅16m、東西に11mと4mの運河を合わせ持つ巨大道路となりました。
それが「稗田」で「佐保川」支流に橋が架かり、そのたもとで発見されたもの。

この川に架かる橋のたもとで何らかの祭祀が行われていたことが分かる、とても貴重なもの。

「稗田環濠集落」については下部写真をご覧頂くで一目瞭然かと思います。