☆ 鏡女王忍阪墓



大和国城上郡
奈良県桜井市忍阪
(P無し、舒明天皇陵Pまたは忍阪の共用Pを利用)(アクセスは下部写真参照)



藤原鎌足の正室であった鏡女王の「鏡女王忍阪墓」に比定される墳墓。

桜井市「忍阪(おっさか)」の奥地、「外鎌山」南麓尾根の先端に築かれた古墳。「忍阪街道」を登ると見えてきますが、手前には舒明天皇陵

鏡女王は初め天智天皇の妃でした。ところが鎌足と熱愛、譲り受ける格好となったようです。

今なら略奪愛…などとスキャンダルネタとなり、芸能界追放…いや、政界追放となるところ。

鏡女王は近江国野洲郡鏡里の豪族、鏡王の娘。
鏡王というのは出自が不明ですが、「王」と称するからには皇族かと。第28代宣化天皇曾孫という説もあるようですが。

鏡女王には同母妹には、万葉集で名が知られる額田王がいます。三角関係の歌が残されており、姉妹ともに多情家?

墳墓は径15mの円墳とされますが、未調査であるため不明。上円下方墳という説もあるとか。宮内庁管轄ではないので調査は可能ですが。

「延喜諸陵式」には舒明天皇陵の領域内にあると記されることから、こちらで間違いなさそうに思います。


「忍阪街道」の途次にあります。

舒明天皇陵の脇を通り「忍阪街道」をずんずんと。

舒明天皇陵からは5分程度で到着!








途中の万葉歌碑と犬養先生によるものです。ここで詠まれたかどうかは微妙なところ。ただ情景がなんとも相応しく思えるのです。