岡崎稲荷神社 (岡崎山古墳群)


大和国葛下郡
奈良県大和高田市岡崎867
(P無し、大和高田市役所より西へ200~300mほど)

■祭神
保食神


大和高田市の西部郊外、「岡崎」に鎮座する社。「馬見丘陵」の最南端に位置することからの地名であるとか。
◎創建由緒等は伝わっていないようです。大和高田市の資料によると「稲荷神社は元、岡崎村内の嶋越宅にあり、文亀二年(1502年)当家の祖先が一族の鎮護のため、現在の処へ遷座し、慶応元年(1865年)拝殿を再建…」とあります。私的に祀り始めたのか、或いは私邸にて管理していたのかまでは示されていません。
◎鎮座地はこんもりとした小山、これは全長40m以上の前方後円墳であるとのこと。また北側に隣接して全長15m以上の円墳が築かれているようです。合わせて「岡崎山古墳群」と称されています。
◎この前方後円墳について「百済王ゆかりの古墳」としているのは大和高田市。紀の武烈天皇三年の条に「百済意多朗(クダラノオタラ)卒す 高田丘上に葬る」とあります。おそらくこれを当古墳に宛てたものかと。
該当する古墳は治定されておらず、真の武烈天皇とも言われる築山古墳の周辺に点在する培塚のいずれか、または領家山古墳の周辺と考えられています。築山古墳からも比較的近く、領家山古墳のすぐ側ということを考えれば、位置的には非常に有力かと思います。
◎前方後円墳の方からは鉄製品が多量に出土、円墳の方は家型石棺であったという情報が見られます。6世紀後半と見られることから時代的にも合致するようです。



奥に見える小山が当社鎮座地。微かに鳥居が見えます。また小山の形状は明らかに古墳。




社殿背後は鬱蒼とした竹藪。とても潜入できるほどのものではなく断念。梅雨の時期ということもあり、参拝だけで蚊に体中刺されました。