☆ 「太子道」 (三宅町伴堂内)



聖徳太子が「斑鳩の里」から「飛鳥小墾田宮」を往来する際に利用したとされる道。別名「筋違道」とも。

大和盆地では飛鳥から平城京まで東から「上ツ道」「中ツ道」「下ツ道」と走っていました。
正式に敷設されたのは白雉四年(653年)とされますが、実際には常用的に使われる道があったのだろうと考えています。

「斑鳩の里」は「下ツ道」よりやや西にあるため、太子はほぼ一直線に、つまりやや斜めに歩いていました。これが「筋違道」と称される所以。

近道とも言う…。

飽波神社辺りで斜めになり、「三宅の原」を経由し、「飛鳥小墾田宮」へ。「三宅の原」については三宅町伴堂の杵築神社の記事にて。

以下写真は杵築神社周辺のものです。