和泉神社


近江国浅井郡
滋賀県長浜市小谷上山田町924
(境内西側に隣接する公園に停めました)

■旧社格
県社

■祭神


「山田山」の南西麓に鎮座する社。谷地を挟み、浅井長政とお市の悲劇の舞台として知られる「小谷城」が築かれた「小谷山」が南側に聳えます。
◎創祀時期は不詳。滋賀県神社庁は口碑によるととして、「(第49代)光仁天皇の宝亀三年(772年)に伊豆三島明神池泉に影向見られたということで、山田の荘司雄麿が社殿を造営して勧請したという」と。
伊豆三島明神とは伊豆国一の宮の三嶋大社のこと(未参拝)。大山祇命と事代主命の両神の伝承を持ち、現在では「三島明神」という場合は両神を指すことが多いかと思います。この時代は大山祇命の一柱とされていたと思いますが。
三嶋大社は天平宝字二年(758年)に封戸授与の記録があり、既に創建済み。当社口碑の年代とは整合性はあります。なぜ当地にこの神が現れたのかは不明。
◎さらに続けて「社名もこれにちなんだものであり、古記録に二○(○は上に台、下に天)水明神の名を当てて泉大明神又は山田の明神と唱えてきた」と。
◎一方で社頭案内は江戸中期の「近江與地志略」の記述を掲げています。三嶋大社からの勧請まではほぼ同内容、出所も同じようです。
続けて「伊豆神社の本来の御神体は、三嶋大社の神様が姿を現したという御手洗と呼ばれる泉そのものであった」と。この御手洗は現在も残されていますが、往時より改良され整備されています(下部写真にて)。
◎さらに「雨乞いがおこなわれ祈祷札を御手洗に流すと、白鰻がそれをくわえて泉に戻っていくと伝える。また神社の石垣には白蛇が棲むといい、本殿北東側には蛇ノ穴と呼ぶ天然の洞窟がある」と。そして鰻も蛇も龍の化身と見なしているようです。
◎宝永四年(1707年)には正一位の神階授与が見られます。この年の秋に富士山の大噴火が起こっており、これは富士山と関わりが深い三嶋大社にまつわるものと思われますが、三嶋大社そのものは特に記録はありません。
当社は浅井氏の守護神として崇敬され、また彦根藩井伊氏の崇敬も厚く、県社に列格した所以かと思われます。
◎ご本殿の右殿(向かって左殿)には山田神明宮が鎮座。これはかつて山田集落の南部に鎮座していたのを、明治の合祀令により当社へ合祀されたもの。立派に祀られています。



参拝当日(令和三年 3/23)は桜がちらほら咲き始めていました。

穏やかな長い参道を抜けると、巨樹が林立する樹叢へ。

樹高は46mあるようです。



ご本殿は藤岡和泉(和泉勘兵衛)という江戸初期の彫刻師によるもの。名前は当社から拝受したもの。


こちらが御手洗。

社殿北東方向。この藪中に「蛇ノ穴」があるのでしょうが立ち入りできなさそうです。

こちらは合祀された山田神明宮。





浅井氏奉納の鰐口。