天比比岐命神社


近江国伊香郡
滋賀県長浜市高月町高野字丸山
(社前の墓地に大きなP有り)

■延喜式神名帳
天比比岐命神社の比定社

■祭神
天比比岐命


湖東、長浜市の平地の東端、「高月町高野」に鎮座する社。「高野」集落からも、また木之本町「小山」集落からも離れ、背後は越前まで続く深い山々、社前は田園地帯。
◎創建由緒等は社伝によると、
━━本社原起は古昔 日置部祖神 天太玉命の神霊を奉じて此の地に来り 山嶽に登り暦日を掌り給ふと云ふ 今も其の地を称して日波加里山と字す 然るに山地にして参拝の便ならざるにより神亀元年今の地へ遷座せしと云ふ 今猶古昔の神社のありし舊蹟を存す━━と。
◎日置部は「新撰姓氏録」に、「未定雑姓 和泉国 天櫛玉命男 天櫛耳命之後也」とある氏族。天櫛玉命は天太玉命と同神とされるため(異説有り)、当社は日置部が祖神である天太玉命を祀った社であると解されます。
◎「日波加里山」で「暦日を掌り給ふ」とあります。日置部とは日読みし暦を制作することを職掌としていたとされる氏族。柳田国男や折口信夫などがこの説を出しています。
◎この「日波加里山」について、それらしきものが長浜市西浅井町山門という地に「日計山」としてあるようです。西北西10kmほど。奥琵琶湖から「角鹿」(現在の敦賀)へ抜ける国道8号線が東麓を走ります。ネット等を管見した情報においては標高は500m足らず、眺める場所によっては三角錐のいわゆる「神奈備山」型にも見えそう。登山家の間でも琵琶湖が一望できるなど、人気の登山コースのようです。「舊蹟」についての情報は皆無ですが。
◎問題はこちらは近江国浅井郡に属していること。当時、現在のように郡を跨ぐ自由な移動ができたとは思えず、神亀元年(724年)に何らかの命を受け移住したのであろうと思われます。
◎ご祭神は天太玉命ではなく天比比岐命。記紀等に一切記されない神名。天比比岐命が鎮まっていたところに天太玉命が被さったと考えることもできようかと思います。或いはそもそも同神であったという可能性もあるかと思います。
伊賀国には比々岐神社が鎮座しますが、こちらもご祭神の比々岐神は謎。縄文の神、アラハバキ神を連想させますが一切が不明。
◎天正の頃に火害に罹り社殿等を焼失。現在のような小社に成り果てたとのこと。また同じ高月町高野の高野神社の境外末社となっています。古代史を紐解く上で大変貴重な社だけに残念。


社号標は写真右端に。写真中央は墓地、当社は奥の樹叢の手前。

獣除けフェンスはセルフで開閉。石段の写真は撮り忘れていますが、かなり登ったように記憶しています。