春日神社 (高家春日神社)


大和国十市郡
奈良県桜井市高家1044
(アクセス、駐車等は下部写真参照)

■祭神
武甕槌命
経津主命
天児屋根命
比咩大神


「多武峰(とうのみね)」と称される「御破裂山」の北西尾根筋、「高家(たいえ)」集落の最高所に鎮座する社。標高300mほど、境内からは大和盆地が一望でき、「大和さくらい100選」の一つに。社名は高田神社とも。
◎創建由緒等に関する資料は見当たらず不明。おそらくは「多武峰」に鎮座する談山神社(未参拝)と関わるのであろうと思われます。
談山神社は中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)とが、蘇我蝦夷・入鹿親子の専制を阻止すべく画策した地。当社は「多武峰」と飛鳥の中間地点、往来のルートの一つだったようです。その地に祀られる、藤原氏の氏神である春日大社より勧請された春日四神ということかと。鳥居横には「談山大明神」と刻まれた灯籠が立てられています。
◎「高家」は舎人親王の居住地であったという説も。天武天皇の第三子で、持統帝から聖武帝まで要職を担った重鎮。母は天智天皇の娘である新田部皇女。藤原氏寄りであり、藤原四子政権の成立にも関与しています。
◎「万葉集」巻9の舎人親王が詠んだ歌に、「ぬばたまの 夜霧は立ちぬ 衣手の 高屋の上に 棚引くまでに」とあります。この「高屋」が「高家」のことではないかという説も。
◎境内には古墳があり、横穴式石室が露出。こちらは6世紀のものとされており、舎人親王が生きた7世紀から8世紀とはずれているようです。こちらは後ほど別記事としてUPします。


アクセスは県道37号線から「今井谷」を通って来る道だと、ほとんど広い道ばかり。車は登拝口の50mほど手前。

右手に手摺が見えるところが登拝口。

このような石段を登ります。全部で200段以上はあるでしょうか。






「談山大明神」と刻まれています。

金比羅大権現

奥が「二上山」、手前は「畝傍山」


右から「二上山」「岩橋山」「大和葛城山」と連なっています。

少し境内から歩いて北側を。ちょうど真ん中辺りが「三輪山」でしょうか。

北西を。奥の方は「生駒山」方面でしょうか。