赤崎神社


志摩国答志郡
三重県鳥羽市鳥羽4丁目
(P無し、道路向かいのバス停に発着時間を確認して停め置きました)

外宮末社 8社中の第5位

■祭神
荒崎姫命


鳥羽市を東西に分断するように南北に流れる「加茂川」、その河口の市街地に鎮座する社。背後は丘陵地、中腹に社殿が設けられています。
◎創建由緒等は不明。豊受大神宮(外宮)末社の一。鳥羽湾内の海岸から外宮へ奉る御贄採取の守護神として祀られているとされます。豊富な海の幸が御贄となっていたようです。
◎ご祭神はその御贄採取の守護神である荒崎姫命。内宮摂社 幸前神社・内宮末社 荒前神社の荒崎姫命と同神とされます(許母利神社とともに三座が同座)。そちらは海が目前に迫る丘陵頂に鎮座、倭姫命が「恐し」と言った波うち際。荒れる波を鎮める神と考えられます。
瀬織津姫命の妹神、またスサノオ神の御子神とも言われますが、記紀その他に記述は無く不明と言わざるを得ないかと思います。
◎一方で建中年間の「皇大神宮年中行事六月十五日贄海神事の祭」には「悪志・赤崎・加布良古大明神を祀る」とあるようです。加布良古大明神は伊射波神社の主祭神であり、稚日女尊のこと。悪志大明神については不明。
◎鎮座地について「鳥羽市史」は、「赤崎神社の現今の所在地は志摩国の領域に属し、伊勢国度会郡にある伊勢神宮の所管する神社がこの地にある謂れはなく、伊勢・志摩両国の境であった妙慶川より北側(伊勢国側)にある賀多神社(未参拝)が赤崎神社の旧社地だったとする説がある」と。
これについては「志陽略誌」(正徳三年、1713年)や「神宮略記」(明治四十三年)に、現社地に鎮座していたと記しているようです。仮に遷座があったとすればそれ以前のこと。
◎ひっそりとした佇まいながらも、初夏の「赤崎祭」には鳥羽市内だけでなく、志摩市や離島からの人手で賑わうとか。