【書紀抄録】磐余池と若桜



5代に渡る天皇の宮が周辺に営まれた「磐余池」。はっきりとした場所が特定できず、古来よりその推定地を巡り多くの議論が出されています。

ここではその5代のうちの、第17代履中天皇「磐余若桜宮」について記される部分を取り上げます。


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【大意】
履中天皇即位三年冬の十一月六日、天皇は「磐余市磯池」に両枝船(ふたまたぶね)を浮かべ、皇妃とそれぞれに分かれて乗り宴に興じていました。
膳臣余磯(カシワテノオミアレシ)が酒を献じた時、盃に桜の花びらが舞い落ちてきました。天皇は不思議に思い物部長真胆連(モノノベノナガマイノムラジ)を召して「非時(ときじく)の花はどこから来た花なのだ。汝が自ら探して来なさい」と詔しました。
長真胆連は独り花を尋ね回り、掖上室山(わきのかみのむろのやま)で見付け献上しました。天皇はその珍しさに感嘆し宮の名としました。即ち「磐余稚櫻宮」と。この日、長真胆連の姓を稚櫻部造と改め、また膳臣余磯を稚櫻部臣と名付けました。


【補足】
◎冬の11月に舞い落ちたという桜の花びら。物部長真胆連が「掖上室山」から見付けて来ました。

「掖上」という地は葛上郡に見られます。「室山」から孝昭天皇 掖上博多山上陵室宮山古墳などが考えられています。ところが10数kmも離れた地、到底花びらが飛び得る距離とは思えません。「磐余池」の近くではないかとする説もあるようですが、周辺に「掖上」という地名は残されていません。

誇張された神話なのか…或いは消え失せた地名なのか…。

◎「非時(ときじく)」とは、時に非ず、つまり季節外れという意味。

◎天皇はなぜ、物部長真胆連に独りで探して来るように命じたのでしょうか。少々引っ掛かっていますが、理由を探る術はありません。

◎なおこの直前には「十月に都を作った」、「十一月に磐余池を作った」と記されています。



若桜神社(桜井市谷)の境内