◆郡山城と城下町 (~1) 令和三年1/19




「郡山城」とその城下町に
少々ハマり気味。


専門外の時代なので
あくまでも趣味的なものの一つですが、

神社と無縁というわけでもないので
アメンバー限定にせず一般記事として上げます。






豊臣秀吉の弟 秀長が入城したことで知られ、
大和・和泉・紀伊100万石を領有する城主として君臨していました。

何せ秀吉の弟ですから、
しかも大和から堺までをも領有する城主ですから、

とてつもなく大きな城だったようです。

ところが「関ヶ原の戦い」以降は荒廃します。






「郡山城」の沿革については
次回以降でごく簡単に触れていきます。

秀長入城前は筒井氏の城でしたし。






この日はまだこんな記事を作ることなど
まったく頭には無く…

ひたすら神社を巡っただけ。


神社紹介記事を起こす上で「郡山城」や城下町を調べていく上で、その面白さにハマったのです。






高田大神社(壷明神)は
外堀の「高田町大門」から歩いてすぐのところ。


大門までの道中や外堀など
面白いところがたくさんあるのにスタスタと歩いてました。

こんな町並みもええもんやな~くらいに。


車では30年近く前から
何度も何度も通っている道ですが。






薬園八幡神社の宮司さんとは
確か2年ほど前にお話を頂いたことがあります。

当時は「郡山城」や城下町に一切関心もなく…。


城下町を彩る一社。

かつては「魚町」に鎮座していたものの
計画的に「材木町」に遷座。






源九郎稲荷神社の宮司さんとは
かなり長い時間お話をさせて頂きました。


大して関心のある神社ではなかったので
サクッと参拝するつもりでしたが…

このお社の歴史はとても面白いもの。


本編でも紹介したように
創祀は飛鳥時代に遡り、旧社地は吉野の「菜摘」。

もちろん原初は稲荷神社ではなかったはず。


紆余曲折を経て今日の状態に。
「洞泉寺町」に鎮座します。

かつてここには遊郭があったようですが。






城下町に興味が出てきたのは
「柳町商店街」の通りを歩いてから。


これまで何百回と車で通った道を
初めて歩いてじわじわと良さが…。


「柳四丁目」に鎮座。
「柳大門」がすぐ側にあったようです。








蛭子社は城下町を出たすぐに鎮座。

こちらは「柳町」。




城下町の風情にハマり
27日にも再度歩いてみました。

ボランティアガイドさんにお話をたくさん伺ったりも。

次回はもう少し町並みを紹介します。