☆ 繼體天皇皇后 手白香皇女 衾田陵 (西殿塚古墳)
(ふすまだのみささぎ)



大和国山邊郡
奈良県天理市中山町字西殿塚
(車通行不可)


■形状
善法寺町
■全長
約230m(全国第24位)
■築造時期
3世紀後半(古墳時代 前期前半)
■埋葬施設
(不明)
■出土品
特殊器台形土器、特殊器台形埴輪、特殊壺型埴輪、円筒埴輪(有段口縁)
■周辺の状況
大和古墳群の一つ
東隣に東殿塚古墳(後ほど記事UPします)、西側すぐに西山塚古墳など古墳密集地帯
■被葬者
手白香皇女の治定墓
臺与説、崇神天皇説が有り



第26代継体(繼體)天皇皇后 手白香皇女の治定墓。

ところが出土している埴輪などから築造次期は3世紀前半と考えられ、手白香皇女が生きた6世紀とは大きく乖離。

残念ながら治定違い。

おそらくは西すぐの西山塚古墳。こちらは6世紀の築造と推定されており時代はぴったり。


…となると、この古墳の被葬者は?

この時期のものとしては箸墓古墳に次ぐ巨大なもの。それはそれはもう…とてつもなく大変なお方が眠っておられることかと…。

上記の通り臺与や崇神天皇が候補に挙げられるのは必然。

そもそもその時代の最有力者のいずれかに当てはめるべき規模と出土物。

その有力者を他に挙げるなら
垂仁天皇、景行天皇くらいか…。


「特殊器台・特殊壺」というのは、特殊な紋様や装飾された土器のこと。祭祀に用いられたと考えられ、弥生時代後期に吉備地方で作られ始めました。

そもそもの始まりは壺や甕などを載せる器台。これは弥生時代初期から始まります。

後期になると首長墓からのみ特殊器台として出土しています。つまりは首長の霊力を引き継ぐ儀式が行われていたのではないかと。

円筒状で上下が広がったもの。高さは1mを越えるものもあるとか。高いほど崇敬が篤いという考えになったのでしょうか。

埴輪の原型とされ、その時代になると箸墓古墳や当古墳に広まります。


平成二十五年には現地への立ち入り調査が行われています。陵墓の調査を頑なに拒んできた宮内庁も、近年はちょっぴり緩和傾向。

被葬者の解明、古代史の塗り替えが期待されます。

*東隣の東殿塚古墳は後ほど記事UPします。


大和盆地方面を。

アクセス道は右端に見えている細い地道。もちろん車は通られません。


側面を。



「龍王山」方面を。


墳丘の東縁に沿って歩くと東殿塚古墳へ向かうことができます。